青い世界の中に埋没していく自分を見つけたとき、やっと自由になれた気がした。

2年ぶりの遠出をした昨年秋、初めて一人で水族館へ行った。
新幹線の窓から見る景色の中、空に向かって生えている建物たちが高速で過ぎ去っていく。知らない街にただ自分一人きりの足で降り立ったとき、いつも妙な高揚感が全身を包む。

知らない空気、知らない人々。「知らない」で満たされた場所へ放り出されることで生まれる冒険譚を味わいたい、堅苦しい挨拶とデスクワークの凝り固まった日常から解放されたい。豊かに注がれた水の塊、青い水槽の世界に意識を集中させることができたなら、何かと騒がしくて落ち着かない日常から解放されるような気がした。

そんな心の衝動たちをいっぺんに混ぜ合わせて、滅多に出かけない休日を外出に使うことを決めた。

青の世界が私を包む。水族館で過ごす一人の時間

一人水族館のデビューに選んだ場所は大阪にある海遊館。誰かと一緒に行ってもきっと楽しいのだろうけれど、今回したいのは自分を自由にしてあげるための逃避行だ。
「水族館 一人 関西」なんて単語をグーグルの検索欄に放り込んで、紹介記事を読み漁る。できるだけ水槽が大きくて、魚たちが悠々と泳いでいるのが見たい。

京都水族館は行ったことがあったし、それ以外にしよう。コロナ禍の影響で一人旅が推奨される昨今、家族連れやカップルに混じって土曜の水族館を一人でぶらついたってそこまで目立つもんじゃないだろうといざ目的地その場所に降り立ったら、意外と一人で来ている人は少なくてずっこけてしまったけれど。

チケットを受け取って館内を進む。順路に従って歩いていくと待ち焦がれた青が広がった。水槽は私の背丈の何倍も大きくて、深海に降り立ったような気分だった。ぐるりと水槽の周りを囲む通路は螺旋階段のようだと思った。

下へと下へと歩いていく。
目の前を行くジンベイザメ、じっと動かないタカアシガニ、ふわふわと舞うミズクラゲ。浅葱にも紺にも光る青の世界で遊ぶ彼らは私の憂鬱なんて何も知らなくて、ただそこに在るだけで私を夢中にさせてくれた。
たくさん写真を撮って、じっと水槽の中を見つめる。透き通って静かな青の世界を見ている間は周りの声も視線も気にならない。全部見て回るにしても一人だし、1時間半くらいかなと思っていたら2時間近く滞在していたことには驚いた。

職場では息を押し殺して過ごすから、私には一人の時間が必要だ

年度末評価の面接で課長と面談をして、いろいろなことを考えてしまうと相談した。課長は「もっと肩の力を抜いていいんだよ」と笑ってくれた。

この職場に移って1年が経った。仕事はだんだんとできるようになっている。だけど、それ以外の割り切れない部分がずっとあって苦しい。
顔は知っているけれど話したことのない人とトイレで一緒になったときにどうしていいかわからない。電話の鳴り響く月曜の朝、忙しそうな先輩に急用で何かを質問しに行くのがつらい。邪魔にならないように、荒波を立てないように。職場での私はいつも、他人の心の奥底にいらない配慮をして息を押し殺している。

くたびれて帰ったらひとりぼっちの部屋で大きく息を吐き出したい。
休日は昼まで寝ていて、それから散歩に出かけたい。
散歩の途中で綺麗な夕焼けを見つけたら、心置きなくスマホのカメラを空に向けてシャッターを切りたい。

一人で過ごす時間の孤独よりも、自由の側面に心を奪われている。一人の時間を愛することで自由になれる自分は、私が愛したかった本当の自分だ。