私は「ひとり」が大好きだ。今では「ひとり」を愛してやまないうちの1人だ。
今ではこの世界に住む誰よりも「ひとり」でいることが好きな自信がある。

流れるように「独り」になり、「真のひとり」を極めてしまった

私はよくひとりでカフェに行ったり、お出かけをする。
そんな時、好奇の目を向けてくる他人からしてみれば、友達がいないように見えるだろう。
実際そうだ。私に友達なんて1人もいない。
複雑な人間関係、生まれた家の最悪な事情や田舎特有の差別的な環境。それが私を自動的に、流れるように「独り」にした。きょうだいや親戚も同じ歳くらいの人はいないから、ついに私は「真のひとり」を極めてしまったと言えるだろう。

最初の方は確かに辛かった。あの時は友達もおらず、毎日を泣いて過ごしていた。そんな私は、いつの間にか吹っ切れてしまっていたらしい。
今ではむしろ、家族以外の他人……つまるところ友達とどこかにいくなんて難しくてとてもじゃないが出来ない。友達でさえそれが出来ないのだから、たとえ今後恋人が出来たとしてもデートでどこかにいくなんて無理だと感じてしまうだろう。

「ひとり」は少し不便なことがあっても、慣れれば気楽で良い息抜きに

「ひとり」は少し不便に感じることもあるものの、慣れれば気楽で楽しくて、とても良い息抜きになる。

私は食べることと寝ることが好きで、それがストレス解消のひとつになっている。
色んなカフェにひとりで行って、美味しそうなご飯の写真を撮りまくり、それを残さず美味しくいただく。私の住んでいる県は比較的安価で美味しいもので溢れかえっており、初めて行くところでも何回も行ったところでも全然まだまだ行き足りないくらいだ。
カフェで美味しいご飯を食べ終わったら、レジの横に置いてある美味しいスイーツのお店のお菓子なんかを買ったりして、家に帰ってからお茶を淹れて楽しんだりする。
自分のペースで食事がしたい、喋りながらご飯を食べることができない体質の私は、「ひとりで食べてひとりで満足する」そんなひとときがなによりも大切で愛おしいと感じている。

ひとりの時間と他の人といる時間。うまく使い分ければ心地よい生活

今では「コワーキングスペース」という、お金を払えば居場所とネットワーク、お茶やお菓子が沢山食べられる居場所も存在する。ひとりが好きな私は、仕事がない頃にこっそりと沢山そんな居場所を見つけていた。
家で作業をすればいいと思われるだろうが、家にいると何もやる気が起きない。ひとりは好きだが、家ではのんびりしすぎてしまう。見つけた居場所はそんな私にうってつけの場所だった。
家では終わらない事は外でならすぐにできた。ひとりでいるのは好きなものの、人の気配がないと集中できない面があるのはまだまだなのかもしれない。

「ひとり」でいることをどこか悪いことのように思っている人も沢山いるかもしれない。けれど一度「ひとり」を味わってみれば、もしかしたら悪いことだとは思えなくなるかもしれない。
ひとりの時間と他の人と共にいる時間。うまく使い分ければ心地よく生活できる……ような気がする。あなたにとっても「ひとり」の時間が心地よく、楽しいものであることを願ってやまない。