仕事とわたしの関係は、極めて曖昧だ。明朗な言葉は、未だに見つけられない。生きがいというには、魂が燃えるような何かが足りず、生活のためと言うほど切実でもない。

大学生活9年目。ライブハウスのアルバイトから店長に出世

2020年3月中旬。
わたしは大学生、大学4回生。
田舎の高校、形ばかりの進学クラスを出て、大阪の予備校で1年ほど浪人生活を送り、編入試験に2度チャレンジした結果の、大学生4回生だ。2010年3月に高校を卒業して10年目の春であり、大学生活9年目の春でもある。⁡

「ライブハウスの店長になりませんか?」⁡

オーナーに呼び出された喫茶店で、不穏な予感を覚えつつ、ケーキセットに手をつけた瞬間だった。味がしない、なんてことはなく、紅茶もチーズケーキも美味しくいただいてしまった。不味いことになった。そう思った。

2019年夏、「時給1000円 街」とインターネットで検索し、見つけ出した求人に応募したのが全ての始まりだ。
梅雨の大雨の中、灰色の繁華街はますます仄暗く、面接に赴いた店は5階というのにまるで地下のようだった。重い鉄の扉の先に、ステージが広がる。ドラムセットが、鎮座する。ここは、一体全体。
こうして、うっかり始まったライブハウスでのアルバイトは、新たな感染症の気配が見え隠れする翌年春まで続くことになる。

これは、不味いことになった。そう直感が告げるより先にケーキセットを2度も腹の中に納めたわたしは、こうして流されるまま、アルバイトから店長兼マネージャーへ異例の出世を遂げたのである。
27歳から28歳になる、まだ寒い春分の頃だった。

最初の仕事は「臨時休業」。ド素人が音響オペレーターに

2020年4月初旬。
依然として大学生活を謳歌する身でありながら、店長兼マネージャーに成り上がったわたしは、その身分に相応しく、最高権力を奮った。
『臨時休業』である。
これが、記念すべき最初の仕事である。ぴたりと止んだ人流にゴーストタウンと化した夜の街は、梅雨の灰色よりも灰色で、不気味だった。

2020年6月末。
7月よりの営業再開に向けて、ここで重要な問題が浮上する。前任者の退職による、音響オペレーター不在だ。
これは困った、非常に困った。ライブが出来ない。他スタッフは営業再開に伴い集めた、ゼミの後輩と以前のアルバイト先での同僚たちで、れっきとした現役大学生である。なんと、7つも年上のわたしと仲良く接してくれている。
もちろん音響経験など誰も持ち合わせていない。そこで白羽の矢が立ったのは、彼女ら同様にド素人たる、わたしだった。

白羽の矢は、何度でも立つらしい。「そんなことは聞いていない!!」と心の中でひっくり返したちゃぶ台を、そのままにするわけにもいかず、結局自分で片付けながら、やや強めに講習会を打診した。⁡

2020年7月初旬。
たった2日で詰め込まれたモノをよすがに、その3日後にはめでたく初戦に臨む。最速デビューである。
そしてこの日を境に、何度でも心のちゃぶ台返しをすることになっていく。そもそも音楽への苦手意識は石鎚山のごとく、6年間の吹奏楽部員生活を通して不得手を確固たるものとしたのだ。ちゃぶ台返しでは正直どうにもならない。どうにもならないから、返すしかないという現実だ。

「大学を卒業できるかどうか」の言い訳の消費期限は切れた

2020年11月末。
わけも分からず夏から走り続け、昼も夜も分からなくなった頃に再び感染症は猛威を奮った。その翌年初夏まで。
「なんのために働くのか」という問いは、「それより大学を本当に卒業できるのか?」という問いに、都合よくすり替えられて消えていった。

2021年、春。
3日かけて作られるイチゴのショートケーキ、つやつやのオペラ、キラリと光るタルト・オ・フレーズ、雲のようにふわふわのチーズケーキ、小ぶりで愛らしいエクレア。

箱いっぱいにケーキを詰めこんで、家路を急ぐ。
到底ひとりでは食べきれない。食べきれないが、それでいい。
明日から、二十代最後の年が始まる。明後日には、大学を卒業する。

そしてまた4月。
『臨時休業』から、めでたくわたしの新社会人生活が始まる。⁡

「それよりも、大学を卒業出来るかどうかが問題だ」という言い訳の消費期限が切れ、「あなたは何になりたいの?」と問われる1年が、始まる。

仕事とわたしの関係は、極めて曖昧だ。明朗な言葉は、未だに見つけられない。