映像の勉強を続け、自分が監督になって作品を撮ることに

いま一番欲しいものは、カメラだ。それもこの先何年も何十年も私の相棒となってくれるような、そんなカメラ。目の前の情景だけでなく、私の心を写し出してくれる鏡のような、そんなカメラ。

昔から人前に立つことが好きで、映画を観ることが大好きだった私は、いつしか自分でも映画を作ってみたいと思うようになっていた。そのために高校で必死に勉強をし、第1志望の大学に合格し、それからも必死に映像の勉強を続けた。
もちろん時に友人と遊びに出かけたり、ひとり旅に出たり、好きなお洋服を買ったり、映画を観たり、そんな時間もあった。
しかし、とにかく誰にも負けないくらい勉強をした。来る日も来る日も勉強をしたのだ。それはもう何度も繰り返し、全身にタコができるくらいに。

ありがたいことにその成果は発揮され、私は監督を務める機会を得た。自分の書いた脚本で監督をやる。夢にまで見たことが現実となった。
それはもう飛び上がるほどに嬉しく、と同時に吐き気がするほど恐ろしかった。
自分の作品が世に送り届けられるのだから。今まで生きてきた中で一番の恐怖だったように思う。

製作期間中、カメラが魔法のような力で私の心を支えてくれた

1ヶ月。映画の製作期間。毎日カメラに触れ続けた。そして、あのなんとも言えないアンバランスな気持ちを、カメラが支えてくれた。何を言ってるんだと思われるかもしれないが、これが本当のことなのだ。
一日の撮影が始まるとき、カメラに触れる。そうすると不思議とすーっと心が軽くなる。現場まで持ち込んでしまった重く沈んだ気持ちをどこかへ吹き飛ばしてくれる。その感覚が心地よく、私は1ヶ月もの撮影を乗り切ることができたのだと思う。魔法のような力をカメラは私に見せてくれた。

カメラは情景を写し、それを観る人へ伝える役割を担っている。ただそれは外見だけの役割であり、それに触れる人によってその人なりの新たな役割が加わるのではないかと思う。それが私にとっては気持ちを落ち着かせてくれるものだった、というわけだ。

そんなこんなでカメラへの思いを語ってきたわけだが、現時点でどのカメラを買うのか、決めているわけではない。なんと言っても、やはり性能というのはしっかり調べておきたいとも思うし、決して安いお買い物ではない分、少し慎重になっているのだ。

それに加えて、今の私にはカメラを買えるだけの財力がない。学生のアルバイト代で買えるものももちろんあるし、周りにはそれらを使っている人がたくさんいる。ただ私はそのアルバイト代を映画製作につぎ込んでしまったため、あまり残っていないのだ。
自業自得とも言えるが、映画に使わなければこれまでの努力が水の泡になるとも言えるといった加減で、これまたなんとも難しい。

私のカメラを手にする日。あのアンバランスな気持ちを忘れずに

贅沢な買い物だからこそ、中古で試してからにしようか、とか、最初はレンタルにしようか、とか、色んなことが頭をよぎる。失敗をしたくないという気持ちが浮足立つ心を押さえつけているのだ。
しかし家族や友人はそれを真っ向から反対する。「初めて買うカメラは一生ものだよ」「最初はやっぱり新品を買ったほうがいい」と。

4月から私は社会人になる。学生のような自由な時間が少なくなる反面、金銭的な余裕が生まれてくるだろう。
そう。一歩、カメラを手にする日が近づくのだ。
それに対する胸の高鳴り、興奮を覚えるとともに、いつまでもあのアンバランスな気持ちを忘れずにカメラと向き合い続けたい。私が切り取る写真には、私の気持ちが乗るように。それが誰か一人にでも伝わるように。そんな思いで一枚一枚のシャッターを切っていきたい。