人生は勝ちばかりだと思っていた。
中学生の頃は、生徒会長で部活でもエース。勉強もできて、先生にもチヤホヤされていた。高校生になっても優等生のポジションは変わらず、勝つ経験ばかりのまま有名な大学に進学した。大学に入ってからも勝ち続きで、就活で悩むこともなかった。

常に一番に選んでもらえるような学生時代を過ごしたからか、人と比べて優れた自分になることが私にとってのゴールとなっていた。競って、勝って、評価されて、自分は成功者だと思っていた。

求められる人材になろうと始めた仕事も、現実はストレスだらけで

2021年春、久々に黒髪になった私がいた。ついに社会人になった。
激務でたくさん稼げて成長できることから経営コンサルタントという仕事に就いた。社会人一年目からきっとたくさんの案件に起用され、求められる人材になれるだろうと思っていた。

でも、現実は違った。
知らない言葉ばかりで、わからないことだらけ。作業は納期ギリギリになっても終わらず、気づけばパソコンを閉じる時間は毎日23時を回っていた。睡眠時間も減り、忙しい時は昼ごはんすら食べられず、肌も心も荒れていく。休日に仕事をすることも多く、友人や恋人との時間は少しずつ減っていった。

気づいたら雪の降る季節となっていた。体も心も疲れているのに、仕事はどんどん増え、ストレスから毎晩3回は起きるようになった。これだけ仕事をしても、評価されるような実績は一つもなかった。

それどころか、これまではできていた簡単な仕事すらできなくなっていた。かかってきた電話への応答ですら、保留を押したつもりが間違って切ってしまうという行為を何度も繰り返してしまった。

そんなとき、高校時代の友人から久々に連絡がきた。彼女は高校時代、私のライバルで一番の友人だった。私と同じように勝ち抜いてきた人生で、就職後も私と同じように激務な環境に置かれていた。

私は誰に評価されてきた?人生における勝ち負けが分からくなった瞬間

「どうしよう。仕事、行けなくなった。毎日仕事に行こうとすると、涙が止まらなくて。ふと病院が目に止まって、立ち寄ってみたら適応障害って言われちゃった。
せっかくいい大学に出たのに、ニートになっちゃったよ。負け組になっちゃったよ」

泣きながら話す彼女にかけられる言葉が見つからなかった。

人生における勝ち負けってなんだろう。
これまで考えたこともなかった。無意識に刷り込まれた勝ち負けを一寸も疑わずに生きてきたのかもしれない。
常に「良い」とされる道を進み、そこで賞賛されることが目指すべき姿だと思い込んできた。勝つことで評価されてきた。

いや、誰に評価されてきたのだろうか。誰のために生きてきたのだろうか。

自分は自分のために生きられている?鏡を見て感じた私にとっての正解

学生時代とは違って、社会人になると正解が消える。きっと、生涯独身で仕事に一生を捧げることも一つの解であり、仕事を辞めて幸せな家庭を築くことも一つの解であり、仕事も家庭を持たないことも一つの解なのだろう。

では、正解がない中で、自分にとっての正解はなんだろうか。
今、自分は自分のために生きていられているだろうか。
鏡を見て、昔とは違う顔が写っていることに気づいた。
髪や肌は荒れ、そこにいる自分は輝いている自分ではなかった。
私にとっての正解はこの生活ではない。それに気づけたのなら、この一年は無駄ではなかったと思う。

久々の休日に、会社携帯の電源を落とした。ずっとしていなかったコンタクトは少し世界がよく見える気がして怖くなったけど、お気に入りのアイシャドウと大好きな真っ赤なセーターを着て、好きな場所へ好きな人に会いに行く。