6畳2人暮らしのオンボロ寮は、王子様に出会う前のシンデレラの家だった

私はかつて、貧乏大学生だった。
早く実家を出たかった私は、地元の大学をひとつも受験せずに、県外に出た。私の学力で合格安全圏の国立大学は日本にひとつも存在しなかったが、なぜかE判定で記念受験した国立大学に合格者最低点で合格。とことん運がいい。

だが、そこからが問題だった。親からの仕送りは3万円。奨学金はすべて学費に。となると……。私は貧乏大学生になる覚悟を決めた。
この時代に(私は2017年の3月まで大学生だったので、そんなに昔の話ではない)、冷暖房なしのオンボロ寮に住むことに決めた。1年生の部屋は6畳で2人部屋。人の数より虫の方が多い。
トイレと風呂、キッチンはもちろん共用。置き忘れたものは盗まれていると思え。王子様に出会う前のシンデレラの生活のようだ。だがここに住むよりほかない。

ラウンジ嬢から離島でラジオ中継まで、多種多様なアルバイトを経験

「知足(足るを知る)」という言葉を私が心得ていればよかったのだが、私は遊ぶことが大好きだった。パーティでも旅行でもなんでも誘われたら絶対行かずにはいられないたちだった。
私は、アルバイトを始めることを決意した。
それから本当によく働いた。いろんな仕事をした。自分の遊びのためなので頑張れたし、それなりに楽しいことも多かった。
掛け持ちもした。塾講師をする一方で、目と鼻の先にあるラウンジで嬢になり、塾の先生が客として来店するという絶体絶命の危機もあった。
私が一番楽しかったのは派遣の仕事。無数の単発の業務があり、あちこちに派遣された。

冷凍食品工場、電子タバコの販売、教材の体験会スタッフ、着ぐるみ、パーティアテンダント、プラスチック部品製造、企業向け新商品試食会、ライブの物品販売、スポーツの試合会場でのイベント開催……。
なかには、泊まりがけで離島に行き、ラジオの中継を手伝うというものもあった。牛が普通に歩いていてびっくりした。

派遣の楽しいところは、その日その日で違う自分になれるというところだった。
あるときは真面目で聡明な、落ち着いたスーツ姿の女性。あるときは元気いっぱいで馴れ馴れしいユニフォーム姿の女性。その業務に合った自分を演じるのが心地よかった。私ってなんにでもなれるんだな、と思った。
私はその場で言われた業務内容をつかむのが得意なことに気が付いて、いろんな現場で頼ってもらえるようになった。苦手なことばかりに目が向いていた自分は消えた。

オンボロ寮のままの4年間だったけど、心は満たされていた

私は4年間、留年することもなく遊びも断ることなく卒業した。本当にいい大学時代だった。
たくさん稼いでもどんどん遊ぶから、生活は貧乏なままだった。でも、私が稼いだお金の使い方は、私が決められる。遊びを我慢すれば少しは条件のいいアパートに引っ越せたが、私はオンボロ寮で卒業まで暮らした。
夏は氷を体のあちこちにあてがって扇風機をつけると涼しいことも知ったし、何重にも毛布を巻いて白湯を飲み続けることで乗り切った冬もあった。お金がなくて、もやししか食べられない日もあった。

それでも私は幸福だった。友達がいて、遊べて、働けて、親元を離れても自力で暮らしていける。自分のことを、自分で決められる。私はなんだってできる。
もちろん、働くうえで腹が立つこともたくさんあった。派遣を見下す社員もいたし、ストーカーまがいの言動をとる客もいた。
でも、生活に満足していたから、心が満たされていたから、あたたかい風が春の訪れを告げるころ、振り返ればいつもいい思い出ばかりが残った。

王子様なんていなくても、自分の力で自分の自由をもてる生活は幸せ

今、私は社会人5年目を終えようとしている。仕事は、ブラック。同年代よりはそこそこ稼げることだけが唯一の救い。
業務内容は嫌いではないけれど、業務の膨大さと人間関係で、体調を崩しかけることもあった。人の悪意にのまれそうになった。
大学生のときのようには、楽しいとは思えない仕事。遊ぶ時間だって少ない。嫌になることばかりで、もうなにもかもなげやりになる日もある。

でも、私は自分で家賃を払っている部屋があるし、私が買った車もある。好きなものを毎日作って食べられるし、面倒な日は宅配で済ませることもできる。あのころとは違う方法で、きっと自分を満たすことだってできる。
私は、自分の力で、自分の自由を手に入れる。そのために働く。
王子様に幸せにしてもらわなくったって、私だけのお城も馬車もごちそうも自分の力で用意できる。ガラスの靴もいらない。
「なんにだってなれる。なんだってできる」と目の前が開けてゆくようだったあのときの気持ちを胸に、今日も自分の自由を守るために城を出る。