幼い頃は父の示してくれた道だけが全てで、その道を外れないように進めば良いのだと思っていた。「ちゃんと勉強して受験して良い大学に入って大企業に入らないと、ろくな大人になれないぞ」と言われたから勉強を一生懸命にやっていたし、宿題の出来なさを毎週末怒られながら英会話にも通った。

始めは父が怖くてやっていたと思うが、すぐに勉強が好きになって中高大と順調に疑うことなくその道を進んできた。

大学に入り色々な人に出会い、何事においても正解は一つでないと知る

でも、大学に入って色々な人に会って、自分が通ってきた道に疑問を持った。高校を休学して留学した人、内部進学・推薦入試で入学した人、他大から編入してきた人、二浪・三浪した人……。私が「これしかない」と思ってやってきたことは、多数の選択肢の中のただの一つでしかないことを知った。今まで一本しか見えていなかった道が実は沢山あったのだと気づいた。

また、在学中に留学して自分の常識が覆る瞬間に何度も出会い、普遍の正解なんて存在しないと分かった。私が当たり前と思っていたことが通じなかったり、逆に私が日本で感じていたけれど反発が怖くて口にできなかった意見がすんなり受け入れられたりする経験もした。

さらに、本を沢山読んだりSNSを見たりして、私と同じような意見を持っていたり、私なら周囲の反応を気にして胸の奥に隠してしまうような率直な思いを堂々と発信したりしている人がいるとも知った。

良い大学に入って大企業に就職するルートから外れたら生きていけないとも思っていたが、そんなことは全くなくて、会社に属せずにフリーランスなど自分のブランドで暮らしている人だっている。

父の正解は、私にとっても「正解」とは限らないから、自分の道を行く

今まで私は、周りの人に正解だと思ってもらえる解を出そうとしていて、その基準に合わない自分の意見には自信を持てないでいた。しかし、私の意見は他人には反対されたとしてもどう考えても私にとっては正解であることは変えられなくて、周囲にとってそれが間違いであっても良いのだと気づいたし、私は自分自身の意見を持って発信しても良いのだと勇気をもらった。

この頃から、父とは意見が対立するようになっていったと思う。喧嘩になる度に父は「社会ではお前のその意見・態度は通用しない」と諭した。今までの私にとって父は社会の荒波に揉まれてその過酷さを知っている人で、自分よりも正しい考えをしている人だと思っていた。

でも、父の考えは父の社会、つまり私が知らない社会の限られた一部でしか通用しないものであり、さらに、私自身が別の基準の解を持っても良いことに気づいたことで父の意見は自分にとって正しいものではなくなった。

こうして私は父から示された道を絶対的なものだと信じるのをやめ、指標を失った。幸運なことに、私は自分の指標を持つ準備が出来ているし、自分の行きたい道を行く自信もある。

私の人生に「責任」を持つことができるのは、私しかいない

それは、父のお陰だと思っている。小さい頃から何の心配もなく勉強だけに打ち込み、大学に入って留学をして少し広い世界を見ることができたからこそ、私を待ち受ける沢山の可能性を知ることができた。私にその機会があったから、余裕があったからこそ気づけたことだと思う。

父の言う、まともな大人になるための道を順調に歩んでこれたからこそ、自分の基準を持つことの重要さに気づくことができ、自分の道を進む自信を得られたのだと思う。

誰かにとっての正解は自分にとっては間違いで、誰かにとっての間違いは自分の正解でもあることは、互いに理解し合えていないようで少し悲しい気もする。でも、私の人生に責任を持つことができるのは私しかいないし、自分が正しいと思える道を進むことの方が大事だと思う。

父の道を進んでいたら、自分の道が見えてきた。父の考える道を進むことはもうできないけれど、私にとっての正解の道を進んでいきたい。