編集者になる。それ以外の仕事なんて、考えられなかった
物心ついてからはっきりと憧れたものは、「編集」という仕事だった。
幼い頃から、本に囲まれて過ごし、漠然と自分は活字に携わる仕事をするだろうと思い込んでいたけれど、具体的に何をしたいか考えてもいなかった頃。ファッション雑誌を読んでいて、どんなにきらびやかなモデルが載ったページよりも、一番最後の「編集後記」を楽しみにしている自分に気がついた。
キラキラと輝くひとつの世界を雑誌の中につくりあげることができる、「編集」という仕事を知ったその日から、漠然とした私の将来像がはっきりと形を持ったことを覚えている。中学生の時だった。
両親も先生も、どうせ子供の戯言だとまともに取り合わなかったけれど、びっくりするほど私の決意は変わらなかった。
「出版不況だから」と、どれだけ周りの大人たちにとめられようとも、何千倍もの倍率がある就職試験で何十社から不採用の通知が来たとしても、どうしても諦められなかった。
まるで、卵からかえったひなが、はじめて見たものを親だと思い込むように、自分が「編集者」以外の何かになるなんて想像もできなかったのだ。
四六時中、頭から離れない。私は編集の仕事に恋をした
もはや何社目かもわからない不採用を知らせるお祈りメールを受信した時、いっそのこと諦められたらどれだけ楽か、と痛む胸にボロボロと涙が出た。
なぜこんなにも強く惹かれるのか?
その時に、これは「初恋」だ、と気がついた。家族でも友人でも恋人でも、こんなにも自分の気持ちをかき乱す存在は、これまでの人生になかったのだから。紛れもなく私は「編集」という仕事に恋をしていた。
やっとの思いで編集プロダクションに潜り込み、実際に「編集者」として働き始めた私の中で、その思いはどんどんと大きくなっていく。
何をしていても頭から離れない。
コンビニのポップ、すれ違う人のイヤホンから流れる流行りの曲、YouTubeのコマーシャル……何を見ていても何を聴いていても、連想されるのは「次は何がつくれるのか?」ということ。
使えそうなインスピレーションは、どこにいようとすぐにメモをした。ひとりでいようが友人と飲んでいようが、それは四六時中、頭から離れない。これを恋と呼ばずになんと呼ぶのだろう、と思う。
創作物が世の中に受け入れられた時、恋が実ったように全てが報われる
「どんなものが世の中で求められていて、どんなことをしたら面白いのだろう」
自分が編集者になったその日から、私はずっとずっと考えている。
どれだけ想っても相手の考えていることがわからないように、どれだけ考えようとも私たちの仕事に正解はない。ただただ、自分が納得できるまで考え続けるしかないのだ。膨大な思考の中で、たった一つ「これだ」と思えるものを常に探している。考え続けた果てに、ふと運命の人を探しているような、不思議な感覚に陥る。
ときめいて、時には泣かされて、裏切られたとしても。自分がつくったものが世の中に受け入れられる時、全てが報われるのだ。好きな人の笑顔ひとつでなんでもできるような気がしてしまう、盲目な恋のようだと思う。
先日、参加した飲み会で、ふと「人生で大恋愛をしたことがある?」と聞かれた。
私は即答する。
「今の仕事を続けている限り、私はこれからもずっと大恋愛をしています」