ちょうど1年前、「SNS辞めるわ」と、連絡をいつも取っている友達にLINEを打った。
SNSを辞めたことで、「ひとり」の時間を楽しむことが出来るようになっていった。
閉塞的な毎日の中で目に入る幸せそうなSNS。心に余裕がなくなってきた
それまでの私は、休日ともなれば一人で買い物に行ったり、友人達と遊びに行ったり、外に行くと楽しいことが起きた。そうなればその出来事を投稿せずとも、他人のSNSを見ても自分も充実しているから、楽しそうだねと微笑ましく見られたものである。
ただ社会人5年目の冬、コロナが流行し始め、一人で休日を過ごすことが多くなってきた。コロナ禍最初の1年目は人と会わないでもやっていけた。自宅でしていなかった魚の三枚おろし、ぬり絵、動画作り、今までしていなかったことにチャレンジしてみた。
人と会わないでも一人でも楽しいじゃん!と思って過ごしていた。
ただ医療関係という仕事柄、コロナが落ち着こうが落ち着かまいが、人と会って遊べる状況でもなかった。会社と自宅の往復のみの生活。だんだんと閉塞的な毎日に心に余裕がなくなってきた。
そんな中、SNSでは「○○とごはん行ってきました」「結婚しました。超幸せ」など、今までであればそうなんだと簡単に流せたことも、自分は自粛しているのになんで?や、一生独身?などネガティブな考えになり塞ぎがちになっていた。このままではいけない。そんなことを思いながら悶々と過ごす日々が、なんと一年と経っていた。
薄い関係の人たちになぜ、気持ちを左右されなければいけないのか
きっかけは覚えていないが、ふとSNSに流れてくる人物達はあまり関わりの薄い知り合い達ばかりで、この薄い関係の人らになぜ、自分の気持ちを左右されなければいけないのかと思った。
そこで冒頭のSNSを辞めてみるという選択をしたのである。
辞める前は急に辞めたら何かあったのかと聞かれるのはめんどうだなとか、SNSで好きな芸能人の情報が得られなくなるのではないかなど考えていたが、いざ辞めてみるとどうともない。むしろ辞めて心が晴れやかになった。
ただ辞めたことは一部の人にしか知らせていなかったので、やっぱりなぜ辞めたかと聞かれた。素直に「見てるだけだし、いらないと思って」などというと、「まぁ生きているか分かればいいんだけどね」と返された。
なるほど、連絡を取らなくてもこういうところで生存確認され監視されているんだと思うと、より一層嫌だと思ってしまった。ただ、また好きな情報を選択出来るという楽しみが増えたし、好きなことに使える時間も増えた。
SNSの時間は散歩に変わり、いつも歩く道で新たな発見に出会える
SNSで悶々と過ごしていた時間は散歩をする時間に変わった。
SNSにかじりついていた頃に比べ、ただただ無心に歩くことは思っている以上に楽しい。休みの日に疲れるかなと思って懸念していたけど、そうでもない。新たな発見があり楽しい。
最初はパン屋さんを地図で見つけて、そこまで歩くと決めて歩く。昭和レトロ漂う店内に、ケシの実の付いたあんパンなどのオーソドックスなものからおしゃれパンまでいろんなパン屋を巡り、食べる。美味しいパンを食べると幸せになれた。
パン屋巡り以外にも、道中も道端を見るだけで楽しい。いつも歩く道でもこんなところに飲食店があったんだと、公園に生えている雑草もいろんな種類があるんだとか新たな発見をすると達成感で疲れがふっとぶ。
一人が嫌だなんて思っていたこともあったのに、今は「ひとり」の時間を楽しんでいる。