焼きそば。屋台やお祭りでの定番フード。
あの香ばしい香りはたまらない。
こんがりと美味しそうなきつね色は、屋台のおじさんの丁寧な火の通し加減の結晶だと思っていたのに。
焼きそばのきつね色はソースの色と知った時、騙された気分だった
焼きそばのきつね色は、ソースの色。
知った時の悲しさ。あのジュージューが美味しさ詰まったきつね色になっていると、てっきり思い込んでいた。騙された気分だった。
以来わたしは、焼きそばは塩やきそば派。
トーストがこんがり色づくように。
炒めたキャベツがこんがり色づくように。
お肉が火が通ると色が変わっていくように。
焼きそばもそうなるものと思っていた。
屋台のおじさんは夏祭りの炎天下の中、汗かきながら、必死に必死にその色に美味しさを詰めてくれているものと思っていた。
大事に食べた。美味しかった。感謝した。
いま思うと、なら焼きそばって名前にしないでほしいなと思う。
炒めそばとかどうだろう。
炒めそば。炒めうどん。
もしくはソースそば?
確かに焼きそば、焼うどんの方が美味しそうかもしれない。
でも、この名前をつけた誰かをわたしはあまりすきにはなれない。ごめんなさい。
同じように考えたことがある仲間は、今の今まで出会えていない
焼きそばがソースを使っているためのあの色だと知ったのは、いくつくらいの頃だったのか。
結構最近まで、努力の結晶色だと信じていたような気がする。
10代半ばくらいまで、自分で焼きそばを作ってみるまで知らなかった気がする。
大人になってから不思議だったのは、みんなは焼きそばのきつね色を焦げや焼けの色だと思ったことがなさそうなこと。
一度誰かに、昔はこうだと思ってたんだよね、みたいな話をした記憶がある。
すごく笑われた。みんなそんなこと、思ったことはないのだろうか。
世界のどこかにきっと仲間がいると信じているのだけれど、今の今まで出会えていない。
冷静に考えれば、あんなに真っ茶色になるほど火を通したら大変なことになりそうだ。
じゃあ弱火で何時間も麺を炒めてみたら、きっと麺と野菜の水分でげじょげじょになってしまうだろう。
実は一度、ソースを使わずにきつね色焼きそばを作ってみたいと思っているのだけれど、怖くてまだ挑戦できずにいる。
誰か挑戦してみてくれないか。いや無理だろうな。大人のわたしにしてみればその焼きそばは、あんまり美味しそうには思えない。ごめんなさい。
焼きそばソースもしかり、多様な味は食文化を継承する深みそのもの
世の中の大概の食事は、素材の味とちょっとの調味料でできているはずだ。
少なくともお塩がパラパラと。
でなければお出汁だろうか。
あとはお味噌とか、お醤油、キムチ色の辛いソースもたくさんあるし、日本で言えば梅干しやしそ大葉も薬味として彩りとして大活躍する。
決していらないものではない。焼きそばソースもしかり。
なんとなくのイメージで、調味料が同じ国でも地域で異なるように、焼きそばソースの味も全国いろいろなのではないかなと思う。
西に行くほど甘辛い、とか。想像だけど。
お好み焼きやたこ焼きの地域の人は、どんなソースで焼きそばを作るのだろうか。
どんな思いで作るのだろうか。
わたしをがっかりさせてくれた焼きそばソースだけれど、おかげさまで多種多様な焼きそばが生まれたのではないか。
おかげさまで美味しい焼きそばが生まれたのではないか。
家庭の味、地域の味、そんな食文化を継承する深みそのものだって、生まれたのではないか。
焼きそばソースを愛そう。そう決めた。