「特技は何ですか?」
「就職活動です」
そう答えても過言でないと思う。
いい気になって思い上がっていると思われるだろうが、自他ともに認めるほど就活無双をしていた。

当時の私は、いくつもの有名企業から内定をもらっていた。見知った電話番号からの着信を受けるとき、必死にポーカーフェイスを保っていたけど、内心は飛び上がっていた。社会から必要とされる人間なんだと、せこい自己肯定感が満たされていた。四季報に載っている倍率を見てニヤニヤしたし、私の足元には何百人という屍が転がっているのだと思うと気持ちが良かった。

就職活動なんて簡単なゲーム。相手が求める「理想像」を考えた

私が卒業した代の就職活動は6月解禁だったけど、その前に3つほど内定を持っていた。
それだけでは飽き足らず、就職解禁時期を守る大手企業も受け続けた。
入れる会社は1つしかないけど、いくつも内定を持っていて損することはなかった。内定辞退の連絡をするとき、残念そうに企業の人事が引き止めてくれる様子を見るのが好きだった(悪趣味だと思う)。

選考をやっていくうちに就職活動なんて、簡単なゲームなんだと気づいた。
webテストを代わりに解いてくれる友達もたくさんいたし、グループディスカッションで愛想を振りまけば次の選考に行けるし、加点ポイントを稼いで内定をゲットする目標があるゲームなんだと思った。

相手が求めている「理想の就活生像」を考えた。
完璧すぎると良くない。完璧な中にも、ちょっとのポンコツさを出していけばいい。大抵の面接官は年配の男性だから、彼らにとって脅威にならないレベルの、しっかり者の女性を演じようと思った。
緊張して声が上ずる女子学生のことが、彼らは大好きだ。おじさんたちは、私が計算して声を作っていることにも気づいていないんだろう。そうやって、たくさん優遇してもらった。

入社後、私は仕事ができないという挫折を味わうことになる

いくつかの内定の中から、私はとある有名企業に就職することを選んだ。
しかし、私は仕事ができないという挫折を味わうことになる。

実際の社会で使うのは体力と忍耐力だ。「後輩なんだから、先輩が持っている荷物を奪い取ってでも運びなよ」と怒られた。何時間残業してでも仕事に打ち込みたいという気持ちが欠けていた。飲み会で目の前の上司が昔話をしているとき、頭の中が真っ白になってしまって言葉の一つ一つが右から左へ通りすぎるだけの音階の粒になっていた。
「本当に仕事ができる人っているのだろうか」。社会人生活中に何度も思ったけど、社会というのは小さなコミュニケーションの積み重ねで成り立っている。小さな人間関係を円滑に回す人こそが「仕事ができる人」で、グループディスカッションでズケズケ指摘できることは実生活では特段加点対象にならない。

怪訝な顔をされるたびに、「雇ったのはそっち」と開き直りたくなる

現在の日本の新卒制度は、総合職採用が一般的だ。
だけど、入社してからはそれぞれの職種に分かれる。当然、必要な能力とそうでないものがあるだろう。例えば、人と話すことが苦手な人が、経理部で才能を開花することもある。
それならば、就職活動はどうしてゲームのようなことをやらせるのだろうか。意味がない。
「なんでこんなこともできないの?」と怪訝な顔をされるたびに、「雇ったのはそっちでしょ?」と開き直りたくなる。
だって私は、webテストを解いて、グループディスカッションで議論を円滑に進行させる司会役を務めあげ、面接で面接官を喜ばせた。

私はこの選考方法に感謝しなければならない、と思うことがある。
長期インターンシップ採用だったら、「演じている自分」を見破られて、「無い内定」だったかもしれないから。