仕事と私の関係は、現在「停戦中」である。
というのも、10月に適応障害と診断され休職し、5か月が経とうとしているからだ。
好きこそものの上手なれ。高校生になり、憧れの航空業界を目指した
小学生の時から飛行機が好きだった。
轟音と共に離陸する飛行機のパワーと合理的な美しさが好きだったのか。それとも、空を飛ぶ、雲の上に広がる青空に息をのむ、慣れない土地で祖父母に会う、そんな一連の非日常感が好きだったのか。
高校生になり、放課後に空港や航空自衛隊の基地を訪れては飛行機を眺めていた少女が、進路に悩んだときに航空業界を目指したのは半ば必然だった。
両親には心配されたが、その仕事の大変さや過酷さはいつも見てきたから知っている。趣味も部活も男社会だったし男友達も多かったから、異性が多い職場という点は心配しなかった。体力や筋肉がない分は努力で何とかする。覚悟はできていた。
業界に入って驚いたことは、何故か飛行機好きから脱落していくこと。
好きなことを仕事にすべきか。これはいにしえから議論されつくされた議題であろう。そして意見がかなり分かれるところでもある。私は典型的な「好きこそものの上手なれ」タイプだ。
好きで、憧れた仕事だからこそ、辛い試験祭りも勉強も乗り越えてこられたのは事実だ。
対して、好きなことを仕事にしたくない派の言い分はこうだ。
「好きなことを仕事にして、嫌いになってしまうのが嫌だ」
入社2年目、適応障害と診断され休職。飛行機は苦しみの象徴になった
志高く業界に足を突っ込んで5年目、入社してからは2年目。
羽田で資格を取り夢を叶え、ほかの空港に異動になったその秋に、私は限界を迎えていた。
羽田にいたころ、私の個性は先輩方にウケなかった。真面目、努力家、優等生。学生時代はほめられていた部分は堅苦しい、可愛くないと敬遠された。
移動の車の中で私だけ話題を振ってもらえない。いじってもらえない。専門学校の教官の言葉がよぎった。
「新人は先輩に可愛がられるかが肝だぞ。仕事に連れて行ってもらえるようになれ」
だから、新しい空港に来てからは必死にかわいい後輩を演じた。ちょっとおバカで、一生懸命で、素直。休日に誘われれば、苦手な飲み会もスポーツもすべて参加した。常に周りの視線を気にして、嫌われないように、失望されないように立ち回ることを優先した。
おまけに不規則な勤務、体力勝負な仕事、人命を預かる責任、タイムプレッシャー、高圧的な先輩、新人に課せられる雑用の数々が重なって、心がむしばまれていった。
いつしか、あんなに好きだった飛行機は苦しみの象徴になっていた。
もちろん達成感もやりがいも感じていた。でも、苦痛がはるかに上回っていた。
疲れすぎて、食事、入浴、歯磨き、洗濯、外出、日常生活に必要なことがなにもできなくなった。危機感を覚えて医療機関を受診したところ適応障害と診断され休職が決まった。
好きだけで選んだら失敗した。でも、好きでもないことは頑張れない
あんなに飛行機が好きだったのに。
どうして、好きを仕事にした人から挫折して会社を辞めていくのだろう。
おそらく……「好き」だけで来てしまったからだろう。
飛行機が「好きでもない」のにこの仕事を選んだ人には、「好き」以外に何かしら理由があったのだろう。例えば、体力に自信があるとか、コミュニケーション能力が高いとか、チームで仕事をするのが得意とか。
当然、好きでこの業界に飛び込んでうまくやっている人もいるのだ。好きや憧れがきっかけだったとして、そこに適性が付随していれば問題なかったのだろう。
ところが、私は好きという気持ちだけを切り札に、ここまできてしまった。そしてそれを原動力に、他人の何倍もの努力をし続けて限界を迎えた。
きっとそれだけのことだったのだ。
そういうわけで、現在停戦中の私はそろそろ現職に降参して転職活動をするつもりだ。
好きだけで仕事を選んだら失敗した。でも、好きでもないことは頑張れない。
仕事とわたしの関係は、まだまだ続いていく。何十年も。