子供の頃はあんなに欲しいものであふれていたのに、今はその熱量がない

この歳になると物欲は驚くほど減る。
子供の頃欲しいものは無限にあった。
新作のゲームに話題の漫画、友達がみんな持っていた文房具やキラキラしたシール。誕生日やクリスマスのプレゼント、お小遣いをやりくりしてどうにか手に入れるために一生懸命になったあれこれ。思えば子供なんて単純で、欲しいものさえ手に入れられれば半年くらいはご機嫌でいられた。

大人になった今、欲しいものは?と聞かれてもパッと思い浮かぶものが無い。
あると便利だなあ、とか、気になるなあ、というものならいくつか思いつくが、そのどれもがどうしても欲しいものではない。まぁ無くても困らないしなあと思っているうちに、いつの間にか欲しいと思ったことすら忘れてしまっている。
趣味だってそうで、徹夜するような勢いでクリアを目指していたゲームも一日30分も触っていれば満足してしまう。
何かがどうしても欲しい、やりたいと思っていたあの熱量が今、驚くほど無い。
持ち物も趣味も収入も程々でいい。大それた野望なんてないから、人並みの生活を送ることが出来ればそれでいい。
それでいい、のだが現実はそう甘くない。

30歳目前、非正規雇用の「夢追い人」から脱出を図るが、就職が決まらない

若気の至りで夢追い人をしていた私は、30歳を目前にして非正規雇用で働いている。
年齢的なもので夢への扉を諦めたとき、私の手元に残ったのは、社員と同じだけ働いても必要最低限の生活を送るだけで精一杯の収入と、職歴に『アルバイト』としか記載できない肩書きだった。
結婚願望もなく、一人で生きていきたいと常々思っている私にとって、『夢』という大義名分が無くなった今の生活は、コロナ禍も相まって不安と焦燥でいっぱいだった。来る日も来る日も漠然とした不安感に襲われる毎日。
寂しい預金残高を見て、今すぐにでも就職したい!と重たい腰を上げて就職活動に踏み出した。
それが昨年の春頃の事である。

恐らくコロナを境に転職を決めた層は少なくない。
私はかげりを見せる小売り業界から異業種への転職を図ったが、オフィスワークやリモート可能な業種は軒並み人気らしく、職歴がアルバイトしかない私に採用通知をくれる会社は一社も現れなかった。
それならば手に職をつけようと叩いた職業訓練校の門は、フルタイム勤務の私には到底現実的でなく、ハローワークの担当者に「生活が出来ているということは安定した生活を送れているということだ」と笑われただけで終わった。
決まらない就職活動を行いながら、最近は「どこで間違ってしまったんだろうな」とぼーっと考えることが増えた。

優等生だった私が、学校での頭の良さと社会で必要な能力の違いに気づく

小さい頃からずっと優等生で通ってきた。
小学生の頃は学年一の秀才で、県下の進学校から国公立の大学にストレートで進んだ。世間的に見れば高学歴と言われる部類だと思う。
もしかしたら、夢なんか追いかけず普通に就職活動していれば、今頃こんな悩みなんて抱えていなかったのかもしれない。
たらればに意味はないと知ってはいるがどうしても考えてしまう。
でも、アルバイトとはいえ少なくはない時間社会人として働いて、色々な人と関わってみて、あながち勉強が出来ることが人生で大切な要素ではないよなとも思えてきた。
社会に出た時に必要な頭の良さと、学校での頭の良さは違う。勉強は出来るに越したことはないが、それより何より必要なのは『自分で考える力』だと最近つくづく思う。

学校の成績が良かった私は、言われたことを言われた通りにこなすことはとても得意だ。コツコツと進めていく作業も苦ではない。
しかし同時に物事を体系的に捉えたり、先を見通した行動でリスクマネジメントをするなんてことがとても苦手だ。
所謂典型的な指示待ち人間で、自分一人で考えて物事を決めるということが出来ない。
それこそ世が昭和平成だったならばそういう人間が会社の駒として必要だったのかもしれない。しかし令和の今、バイト先でも就職活動でも盛んに喧伝されるのは『自分で課題を見つけ革新する力』だ。
新たな挑戦を続ける周りと比べながら、思考停止して、言われたことばかりやっていたツケが今なのかな……とぼんやりと思う。

大人になると、これといって欲しいものが無くなる。
それでも今、何か欲しいものないの?と聞かれたら、私は『自分で考える力』が欲しい、と答えると思う。