「いま一番欲しいもの」といわれ、真っ先に思いついたのは心だった。でもただの心じゃない。ふつうに“健康な”心だ。

心の病気を認識した途端にコントロールがきかなくなった

過労(や様々な要因)により、私は去年6月に適応障害を発病した。
新卒でテレビの制作会社に入社して7年、かなりの情熱を注いでやってきた。しかし、ある日涙が止まらなくなり、病院で「休職しましょう」と言われたら、あっという間にダメになった。
発病前も鬱々とした気持ちや、気持ちが上がらないこともありながらも仕事を続けてきたが、自分は病気なんだと認識した途端に、コントロールがきかなくなった。

発病してから少しずついろんなものが、周りからなくなっていった。
なんだかちょっと空気が薄く感じたし、楽しく見ていたテレビはただの雑音にしか思えなくなったし。好きだった音楽もラブソングは「幸せそうでむかつく」し、応援ソングは「明るくてむかつく」ようになってしまった。
そしてなにより不思議だったのは、あんなに好きだと思って必死に頑張ってきた仕事への熱量が1ミリも湧かなくなってしまったことだ。

テレビ業界というのは、資格も免許も必要なく、誰でも挑戦できる仕事だ。
ただ、労働環境がかなりきつい。改善されつつあるものの、徹夜は当たり前だし、女性はちょっとやりづらいのが現状だ。女性ADはまだしも、女性ディレクターという立場はなかなかめんどくさいのだ。
それでもやってきたのは、テレビが大好きだからだった。ただただ、大好きだった。そして、ディレクターという仕事に誇りをもっていたからだ。
どんなにつらくても「私の作ったVTRを見た人の人生が少しでもよくなりますように」ということだけは忘れずにやってきた。
そう思ってきたはずなのに。そんな熱意や情熱は絵空事だったのだといわんばかりに、私の中からあっという間に消え去っていった。文字のごとく、仕事人間だった私から仕事をとったら、ただの、なんてことない人間になった。

持っていたはずの“健康な”心は、どうやって手に入るのか

発病して、早9カ月。一度復職したものの、まだ調子を崩し、休職する日々を送っている。
どうやったら“健康な”心って、手に入るんだろう。私は、普通に仕事に行きたいし、ドラマや映画に感動したいし、音楽に共感したり励まされたい。今は、そういう心を常に保ち続けられないのが現状だ。
1時間先の気持ちの上下がわからない病気だとわかっているものの、空っぽな心に振り回される私の身にもなってほしい。みんなが普通に持ってる“健康な”心ってどこにあるの?どこに落としてきたの?そもそも、心なんて持ってなかった?
誰も教えてくれはしない、きっと自分で見つけるしかないのだ。

私が欲しい、ふつうに“健康な”心は、週5日(とはいわない、3日でいい)仕事にいける心、美しい景色を見て「綺麗だ」と思う心、お芝居を見て「すごいな」と感動する心、料理を食べて「おいしいね」と共感する心、好きな音楽を聞いて「すてきだな」としみじみする心。
挙げだしたらキリがないけど、前の私が持っていたはずのものなのだ。ディレクターとして、自分の感性で目の前の物事を切り取り、何本もVTRを作ってきたじゃないか。病気で一度空っぽになったんだから、新しい心を入れるスペースはあるだろう。ちゃんと自分の手で、足で、目で、探しに行こう。

“健康”な心は見つけるしかない。そう思えるようになったのだろう

私の欲しい“健康”な心は、お金じゃ買えないし、誰も与えてくれない。きっと自分で見つけるしかないんだと思う。
病気になって、半年経ってようやくそう思えるようになった。休んだことで、少しだけ歩き出せる力を身につけたのだろう。
私には一番欲しいものに手を伸ばし続けられる人生を送ってほしいと思う。そう思っているうちは大丈夫、だと思う。