「よぉ来たなぁ」
おじいちゃんのこの言葉が今でも頭の中に残っている。
2021年2月27日、おじいちゃんは亡くなった。突然だった。
今でもあの日のことを覚えている。私は彼とデートをしていた。デートから帰ってきた時、家の中がやけに静かだった。姉と父が黙って佇んでいた。母の姿はない。
「お母さんは?」
と尋ねると、
「病院に行った」
と低い声で姉が言った。
その数分後、母から連絡があった。
「今さっきおじいちゃんが亡くなった」
頭が真っ白になった。年明けに挨拶に行った時は、
「よぉ来たなぁ」
といつものように出迎えてくれた。コロナ禍で会う機会はほとんどなくなり、会っても毎年恒例だった親戚同士集まって食事をとるということはしなくなっていた。
「コロナが落ち着いたら、またみんなで食事に行こうねぇ」
と言うと、
「そうやなぁ。そろそろ結婚報告も楽しみにしとるからな」
と、にこやかに返事をしていた。
それからわずか2ヶ月弱でおじいちゃんは亡くなった。体調を崩して入院したのは亡くなる1週間前。コロナ禍で私は1日もお見舞いに行くことはなかった。
実は寂しかったおじいちゃん。そんなおじいちゃんを喜ばせたい
おじいちゃんの葬儀の時、生前おじいちゃんが思っていたことが読まれた。
「生前、おじいちゃんは孫と会えることを心から楽しみにしていました。孫の活躍をとても喜んでいました。コロナになって、会う機会が減って寂しかったようです。いつも集まって食事をするのも楽しみにしていて、コロナじゃなかったらと口にしていたようです。また、孫二人に恋人ができ、結婚することを心待ちにしていたそうです。おじいちゃんは孫の活躍や幸せな話を聞くのをいつも楽しみにしていたんですねぇ」
涙が止まらなかった。おじいちゃんは口数が少なく、会いに行ってもみんなの話をそっと聞いているだけだった。楽しくないのかな?一人の方がいいのかな?と思っていた。でも違った。おじいちゃんは私たちが話している姿を見ているだけで十分だったのだ。みんながいる様子を見たり聞いたりするだけで嬉しかったんだ。
もっと会いにいけばよかった。彼を紹介してあげればよかった。一目だけでも彼を見てもらえばよかった。コロナだからと結婚を先延ばしにしなければよかった。せめて晴れ姿だけでも写真に撮って見せてあげればよかった。もっと活躍した姿を見せてあげたかった。
ごめんね。ごめん。
勝手に長生きしてくれるものだと思っていた。コロナが落ち着いたらまた会えるって思ってた。でもそうではなかった。人の命はいつかは燃え尽きる。
だから、もし会えたらいろんな報告をしたい。おじいちゃんが喜んでくれるような報告をたくさんしたい。
もうおじいちゃんに会うことはできないけど、私はおじいちゃんが喜んでくれるように生きたいと思った。
おじいちゃんの笑顔を思い出して、もっともっと幸せになる私
亡くなった翌月には、おじいちゃんの住む市のミスコンに応募し、ミスになった。
亡くなって半年後には、私の書いたイラストをお菓子のパッケージに載せてもらった。
亡くなって10ヶ月後には、彼に婚約指輪を買ってもらった。
おじいちゃんに会えたら、言いたい。
「私、もっともっと輝いて、もっともっと幸せになって、いつでも報告しにいくからね。家族で、寂しくならないようにいっぱい会いにいくからね。またおじいちゃんに『よぉ来たなぁ』って言ってもらうようにするからね」
きっとこうやって言ったら、おじいちゃんは「よぉ来たなぁ、ふふ、なんや、また来たんか」って照れ臭そうに言って、「よかったなぁ、頑張っとんなぁ」なんて言ってくれるはず。そしてその時のおじいちゃんはとびきりの笑顔に決まってる。
そうだよね。おじいちゃん。