2021年6月。大好きなアナタが亡くなった。84年間、お疲れさまでした。
ピリピリしている家で、アナタはどんなときも優しかった
「目に入れても痛くない」。孫本人の私が断言できるくらい、小さい時から大人になった今日まで、アナタは常に優しく、私をとことん甘やかしました。
亡くなってから気づいたのは、アナタに怒られたことが1度もなかったということ。本当に一度も、アナタから「怒り」の感情を受け取った覚えがありません。
5年前に熟年離婚した両親は、私が物心ついた時から仲が悪く、いつも喧嘩をしていて、家族全員が揃ってるご飯の時さえもピリピリしているばかりで、楽しかった記憶が全くない。
「両親」とは仲が悪いモノだと思っていたから、友達の家でご飯に招待された時、友達のお母さんお父さんが笑いながら食事をしているのを見て「何で笑ってるの?何で仲良いの?」と、純粋に不思議で仕方なかった。
みんなで楽しくご飯を食べたいがために、親を笑わせたくてフザけてみたりしたけど、全く笑ってくれなくて、いつの日からか1人でご飯を食べる方がラクになってきてしまった。
小学校、中学校まではただただ悲しくて自分を抑えていた毎日だったけど、高校生になり思春期を迎えると、親に怒りをぶつけることを覚え、毎日のように喧嘩をした。家出もした。
学校でも部活や勉強が思うように行かなくなって、学校にも家にもいたくなくなり、どうしようもない日々が続いた。
大人になった今、思い返してみてもやっぱりあの時は凄くキツかった。何年経っても思い出す度に心がチクッとする。
それでもあの時代の私にとって、唯一の居場所だったのは、アナタがいる「おばあちゃんの部屋」だったよ。
暗い雰囲気のリビングから逃げたくて、アナタの部屋に向かって扉を開け、畳の匂いがする度にホッとしてた。私の大切な居場所であり、大好きな逃げ場だった。
ふたりでコタツに入りながらお喋りしたり、「ほら、食べな」って親に隠れておやつくれたり、小学校から高校生まで何一つ変わらなかった。
思春期で不安定な気持ちを抱えてるせいで、何度も何度も八つ当たりして傷つけてたハズなのに、怒られることも見捨てられることもなかった。
ビックリするくらい何も変わらない優しいアナタが、ずっとそこにいてくれた。
負の感情を全く見せなかったアナタが、一度だけ泣いたとき
親の喧嘩をこれ以上見たくなくて、東京の大学を選んだ。
価値観を広げたいからとか、もっと成長したいからとか、そんなカッコいい理由で上京してない。ただただ仲の悪い親を見続けるのが苦しくて逃げてきた。
それでもやっぱりアナタと離れるのだけは寂しかった。
だから2ヶ月に1回は帰省するようにした。
歳を重ねてもなにも変わらないアナタと畳の部屋。帰ったら必ず「何が食べたい?」って聞いてくれて最高に美味しいご飯を作ってくれる。お腹いっぱいだって言ってるのに、まだあるよってしつこく出してくる。美味しくて楽しくていつも幸せだった。
幸いなことにアナタは全くボケることもなく、年齢に反して凄くハキハキ喋れていつも笑ってる人だった。「怒り」はもちろん「悲しみ」や「憎しみ」、とにかく「負」の感情をアナタから一切受け取ったことがなかったけど、本当に一度だけ、私の前で泣いたことがあったの覚えてますか?
亡くなる3年前、81歳の冬に私が帰省した時、夜いつも通りふたりでコタツに入っていた時。
急に「死にたくないな」ってポロッと呟いて静かに泣き始めた。本当にビックリしたよ。
ビックリしすぎて一瞬言葉を失ったけど、すぐに「なに言ってんの~!!」って笑いに変えてしまった。私も一緒になって泣いてしまいそうだったから、咄嗟に出た言動だったけど、「どうしたの?」って寄り添ってあげればよかったって今になって凄く後悔してる。ごめんね。
その上、亡くなってからその時の場面を思い返しては、「死にたくないって言ってたじゃん!!」って天に向かって怒ったりもした。
唯一の弱みを見せた瞬間を、当時は笑いに変えて寄り添えなかった上に、最後は怒ったりと、本当に私はワガママで自己中ですよね。ごめんなさい。
更に今では、自分に都合のいい解釈にし、「冗談でも『早く死にたいわ~』などと一切言わずに、あの歳になっても『死にたくない』って言えるってことは、素敵な人生を歩めた証拠なんだろうな」って考えるようにしてます。間違えてるかな?でもそう思っていたいです。
生まれたときから他の祖父母は他界しており、アナタが唯一の祖母だったけど、「おじいちゃんおばあちゃん、もっとほしかったな」なんて1度も思うことがなかったのは、アナタがお腹いっぱいになるくらい無償の愛を与え続けてくれたからだと確信しています。
私はもらってばかりでしたが、少しでも返せていたでしょうか。いい孫でいれたでしょうか。
大きな夢、かなえたよ。ばあちゃん、見守ってね
あとね、話が全く変わるけど、ひとつ報告。
来年からアフリカに2年間ボランティアしに行くことが決まったよ。大きな夢、叶えたよ。
アナタが亡くなった同じ月に選考が始まって、最初は、そんな事してる場合じゃない、諦めようと思ったけど、今後「ばあちゃんが亡くなった月だったから諦めた」なんて、アナタのせいにするみたいで絶対に嫌だったら頑張ったよ。
大変だったんだよ。辛かったんだよ。でも受かったよ。ばあちゃんのせいで諦めるどころか、ばあちゃんのおかげで受かったよ。
最後に大きなプレゼントをどうもありがとう。
最後までワガママな孫からお願いが2つあります。
ひとつは、無事にアフリカ生活を過ごし、無事に帰国できるようずっと見守っていてください。
もうひとつは、生まれ変わってもまたアナタの孫でいさせてください。
これから先、10年、20年、30年生き続けても、アナタに1度も会うことはできない現実を考えると、たまに重苦しくなるけど、頑張って生きていきます。
私もいつか、アナタみたいなおばあちゃんになるぞー!!!なれるかな?!
美味しいお酒を呑んで、大好きな犬とお散歩しててね。たまには夢にも出てきてね。
何十年後かにまた会えるのを本当に楽しみにしています。
心から愛してます、昔も今もこれからも!