「君は僕には、幼すぎる」。
1ヶ月ほどしか誕生日の違わないその人に、そう言われた。私はその人のことを断片的に覚えている。

大学1年の春、笑顔の明るい魅力的な彼と必然的に恋に落ちた

同い年の男。その男は、笑顔の明るい、無邪気な人であった。あるときはクラスのリーダー、あるときはサークルの可愛い1年生。そしてあるときは、誰にでも愛される自分に酔いしれて、全ての他人を見下し、息をするように揚げ足をとるやつだった。

さらに厄介なことに、その口は、自分が正しく他者が間違えていることを正当化してしまうほど饒舌だった。データの多い話に人々は、彼の言葉こそ正しいと感じてしまうのは自然なことだ。それが、私の元彼なのである。

彼との出会いは、大学1年生の春。入学後2週間で付き合い出したのには彼のそのような人柄が魅力的であったからに他ならない。人の懐に入り込むのが本当に上手だった。彼と登下校の帰り道が一緒なのだからなおのこと、彼の人間的な魅力に吸い込まれた。

話せば話すほど、気になるサークルが同じだとか、高校生の時からギターをやっているだとか、共通点が見つかり、それが増えるごとに人間的に偉くなったような気がして誇りを抱いた。まるで共通点を探すゲームのように私たちはお互いの同じところを探し合い、必然と恋に落ちていった。

見当たらなくなった彼との共通点。不快感を抱くようになった

しかし、それは束の間の幸せだった。
半年過ぎて、彼との共通点は見当たらなくなった。

7ヶ月過ぎた頃には彼と私の性格的な違いが見え出し、その違いに不快感を抱くようになった。

8ヶ月過ぎた頃にはお互いの異なる点を探し出すゲームに様がわりした。

そうして8ヶ月過ぎた頃には、異なる点を無くしていこうとする、コントロールしてしまおうとする、育成ゲームに様変わりした。
彼は、俺のように愛嬌のある人間に、誰とでも仲良くなれるような人間に君もなるべきだと布教し始め、さも子供を育てるように、否、叱りつけるように私に諭すのである。

9ヶ月たったころ、蜘蛛の糸のように細い一本の糸がぷつりと切れた音がした。必死に彼の元へ、彼の望む方へ目指し登り詰めていた糸だ。

帰りの電車、私は泣いた。
己の情けなさに、この胸の苦しさに痛みに耐え切れず、泣いた。
「どうしたの?言いたいことがあるなら言ってくれないと、泣いたってわからない。なんでもない?それなら、泣くな。大人なんだから」
と叱った。

私は涙のわけも分からず、ただ母に会いたい、母の元に帰って何をしたいとも言わない、彼と会う前の日常を恋しく思うばかりであった。

10ヶ月過ぎた頃、彼と私の糸はもう結びなおすことはできなかった。一緒に下校した夜、ラインで簡単にお別れの言葉をもらったのを覚えている。それが冒頭で記述したなんとも冷酷で、見下した言葉であった。

胸の奥につっかかる彼との思い出。初恋のような情熱とドス黒い憎しみ

もう一度彼に会うことがあるのなら。
大学卒業間近の今、私は当時持っていた、彼への初恋に似た、言葉にできないほど情熱的で燃え上がるような真っ赤な恋と、同じくらいに憎しみで鉛のように重くのしあがったドス黒い感情に思いを馳せる。

あなたは、私を幼いと言ったわね。
いいえ。あなたも私も幼かったのよ。
あなたが、自分の理を私に押し付けたように、知らず知らずのうちに私もあなたに情を押し付けていた。

ご縁が切れたとしても、あなたとの思い出は、胸の奥につっかかっている。
もし、彼に会えたら、思い出のアルバムをめくるように、あの時の答え合わせをしたい。いいえ、やはり、このモラハラ男と罵って、私の受けた痛みと同じくらいの精神的な苦痛を味わえばいいと、言ってしまうかもしれない。別れてからの3年間ふと、頭に浮かんでは消えていった言葉たちが私にはある。

けれど、それも必要のないことのようだ。こうやって長々と綴ってきたけれど、これは私の日記にあった言葉たちから、推測して思い出した記憶たちに他ならない。彼の面影はうっすらとしていて、あの鼻につく弁の立つ話し方でさえ忘れてしまった。とにかく、断片的にしかもう思い出せないのだ。

きっと、私が大人になってしまったから。