中学生の頃に片思いしていた同級生のS君は、私の初めての彼氏だ。
26歳という大人になっても、初彼氏というのはほんの少しだけ特別な気がする。
2日に一度のペースでくだらないメールのやりとりをしたこと。
川辺で手持ち花火をしたこと。CDの貸し借りをしたこと。
好きな音楽やお笑い芸人が同じだったこと。笑いのツボが似ていたこと。
ヤンキーでも、クラスのあまり目立たない子でも、どちらとも仲良くできる謎の立ち位置で、でも決して目立って両者を繋げるわけでもない、クラスの不思議な存在。
そんなありふれたきっかけと、掴みどころのない性格に自然と惹かれていた。
彼との思い出はたくさんあるけれど、記憶はどれも断片的で、ひとつひとつの詳細はおぼえていない。声も、何なら顔さえも曖昧な記憶だ。
彼とお別れしてから10年は経ったし、連絡もとっていないのだから、そりゃ忘れて当たり前だ。
彼がいつも私にかけてくれた言葉は、あの安西先生の名台詞
だけどそんな中で、色濃く残っている思い出がひとつある。
それは、「あきらめたら試合終了」というスラムダンクの安西先生の名台詞を、彼が頻繁に唱えていたことだ。
私と彼の人生はもうずっと前からバラバラなのに、この言葉だけは私の人生に欠かせないものになっている。
当時の私は飼い主だけに懐く犬みたいに、何かといえば彼を頼った。
特に感情移入することもせず、突き放すこともなく、心地よい距離感で手を差し伸べてくれる彼の対応が嬉しかったし、私は私で「好きな人には頼るべき!」という謎の思想があった。
壊滅的に苦手な数学のテスト、終わりの見えない化学のレポート、部活での悩み、受験への不安……。勉強を教えてくれたり、ただ話を聞いてくれたり、彼はいつも助けてくれた。
同じ悩みを抱えていてもおかしくないはずなのに、様々な私の幼い弱音や悩みに、彼は「あきらめたら試合終了だよ」としょっちゅう励ましたのだった。
少し熱苦しくて、でもそれが何か面白くて、使える場面も多くて、他人にも自分にも言いやすい軽さがある。おまじないのような、キャッチーな言葉だ。
ある日は冗談っぽく、ある日は真剣に、色んなバリエーションで洗脳のように、その言葉を私に植え付けた。
スラムダンクを未だに読んだことのない私にとって、その言葉は完全に「彼の言葉」だった。
彼との恋はあっさり終わったけど、その言葉はいつもふと浮かんでくる
中学を卒業したタイミングで告白をした。
「ありがとう。おれもずっと好きだったんだ」と言われ見事に両想いになったのだけれど、3ヶ月ほどで「お互いの高校生活に集中しよう」とあっさり振られて別れてしまった。
大好きだったのに、2年近い片思い期間とは比例しないとても儚い交際期間だった。
彼との思い出は、ここで終わっている。
大人になった今の私に、彼への未練なんてものはない。
中学生の頃の気持ちを綺麗に残しておけるほど、つまらない十数年を過ごしてきたわけじゃないのだ。
それなりに恋をして、夢を見つけて追いかけて、努力して叶えて、今もまた新たな夢を追っている。大好きで大切な彼氏もちゃんといる。私なりに順風満帆な人生を送ってきた。
ただ、今の私に至る過程の中で、なんだか上手くいかない時や落ち込んだ時、辛い時、何もかも嫌になった時に、その言葉は無意識にふっと浮かんできた。
高校生の時に入っていた吹奏楽団の辛い練習。
専門学生の時の山のような課題。
寝不足で幽霊を見たくらい追い詰められた就活。
希望通りじゃない社会人生活。
理想の人になかなか出会えなかった恋活……。
いつだって「あきらめたら試合終了」だった。
私は全て乗り越えて今ここにいるのだ。
大事な時に、言葉と一緒に未だ彼も思い出すのは何だか悔しい
間違いなく彼の言葉が、今の私を作ってくれた。
私を励まし奮い立たせ、背中を押してくれてしまう言葉。
一番多感な時期に出会った、初めての彼氏が残していくには、少し罪深い言葉だったと思う。
辛い時、しんどい時、頑張らなければいけない時の大抵は自分の人生の節目に当たるものだ。
そんな大事な時に、言葉と一緒に未だ彼の存在を思い出してしまう。
彼にとって私は1人の元カノに過ぎない。
私にこの言葉を残した記憶も微塵もないかもしれない。
もう忘れているはずなのに、別々に生きているはずなのに、彼の言葉にいつも助けられてしまっていて、それが何だかずっと悔しい。
もし今彼に会えたなら、伝えたい事はたくさんある。
「大事な時ほど未だにあなたを思い出しちゃうんだけど、どうしてくれるの」
「苦しい時、あなたの言葉に何度も支えられちゃったよ」
「私もそんな言葉を残してあげられたら、平等だったのにね」
「でも、私は今の私が好きだから、今まで何度もありがとう」
感謝の気持ちと悔しい気持ちが交差して整理しきれない。
素直に「ありがとう」で終わらせるほど単純ではないし、悔しい気持ちをぶつけるだけには出来ない程に、助けられた回数が多すぎる。
彼が今も「あきらめたら試合終了」だと思って生きていてくれたら少し嬉しい。
そしてもし、彼が今苦しくて、頑張らなければいけない状況ならば、他の誰でもなく、私がこの言葉を言ってあげたいと思うのだ。