偶然の出会いから、思い出の人と心の中で向き合う「ひとり」の時間

ひとりの日には、よく街へ出かける。欲しかった服や観たい映画のリストを片手に、ふらふらと歩き回り、思い立って買い物をしたり、お店でご飯を食べたりする。
今日は私を待っている人も、行かなければならない場所もない。この責任のない気ままさが心地いい。
しかし、そんな気楽さを大きく上回る「ひとり」の楽しさがある。それは偶然の出会いをきっかけにして、自分の中の思い出の人と向き合う時間である。

去年の11月だった。寒さが立ち込める中、私はひとり買い物に出かけた。

10月から始まった後期の忙しい時間が続き、やっと落ち着いて時間ができた一日。もう寒くなってきたのに冬服がなかったからだ。
家から数駅の大きな都心の駅。駅に直結したショッピングモールの中をのんびりと歩きながら、店頭に並ぶマネキンの服を物色する。
「今はこんな形の服が流行っているのか……」「こういう組み合わせがオシャレなのだろうか」など考えながら、自分の好みの服を探す。
この時間が私にとっては、何にも邪魔されない至福の時間である。

その時ふと、通った雑貨店の一つのコーナーに目が留まった。
その雑貨店はプレゼントや化粧品など扱う商品が多岐にわたる。その一角に、子供用のぬいぐるみのコーナーがあった。その棚の一段目には、白くてふわふわした小さな、ちょうど胸に抱きかかえればすっぽり収まるくらいの羊のぬいぐるみがあった。

つぶらな瞳の羊を見たとき、亡くなった曾祖父の顔が頭に浮かんだ

小さいけれども、ふわふわとした4本の足でピンと立って、丸いつぶらな瞳がこちらを見つめている気がした。その羊を見たとき、2年前に亡くなった曾祖父の顔が頭に浮かんだ。

「ひぃおじいちゃん」
小さいころ、よくそう呼びながら曾祖父母の家を走り回っていた。長期休みに帰省をすると、私は家の周りの草木で何か工作をしては曾祖父母に見せに回っていた。

東北地方の山村にある木造の広い平屋は、戦前に曾祖父とその父がすべて自力で建てたものであり、3つの棟と倉庫からなる。曾祖父がどこにいるかわからないので、子供の私は家じゅうを走り回るしかなかった。

曾祖父を見つけて渾身の作品を見せても、反応はいつも同じで無表情で「ほぅ」と言うだけ。それ以上のコメントはないが、子供の私は見せただけで満足して、また次の作品作りに戻って行くというルーティン。
私と曾祖父は、それ以上の会話をしたことがなかった。東北弁でしか話せない曾祖父の言っていることは、東京で生まれ育った私には聞き取れないのだ。

ぬいぐるみを渡すと、今まで見たことのない、驚くほどの笑顔を見せた

しかし、いつもタバコをくわえて縁側に座っている曾祖父が、一度だけいつもと違う反応を見せたことがあった。

それは私が東京の家から、当時お気に入りの羊のぬいぐるみを持って行った時である。座敷の隅でぬいぐるみを抱きかかえていた私に、曾祖父が立ち上がって近づいてきて、何か言いながら両手を差し出した。
何を言っているかはわからないけど、ぬいぐるみを指し示していることはわかる。ぬいぐるみを恐る恐る渡すと、曾祖父の表情はふっと明るくなった。その羊を見ながら、今までに見たことのない、驚くほどの笑顔を見せた。
曾祖母がいう。
「昔からこの人はこういう小さくてふわふわしたものが大好きなんだよ」
思わずくすっと笑ってしまった。

曾祖父の顔は、いつも私が知っている「何を考えているかもわからない、タバコをくわえた無表情のひぃおじいちゃん」ではなく、ぬいぐるみが好きなかわいい一面を見た。それがうれしくて、帰省のたびにぬいぐるみを持って行った。曾祖父は何度も笑顔を見せた。私もそれを見て、いつも嬉しさに笑顔になった。

ひとりの時間は、過去のあの人とその思い出にじっくりと向き合える

それから約10年。私が大学1年生だった時、曾祖父は亡くなった。静かな別れだった。
葬儀の時、最後にみた曾祖父の顔はいつもの無表情だったけれど、もう直接顔を見ることはできないけれど、私の心の底にはいつも笑顔の曾祖父が眠っているのだと思う。
こんなひとりの時間には、ぬいぐるみをきっかけにして、彼の優しい笑顔を思い出す。

ひとりの時間には、いろんな出会いがある。
昔の恋人と歩いた道をきっかけにして、彼が私へ向けた言葉を思い出したり、屋台を見て過去の友達の好きだった食べ物をふと思い出したり。そのたびにその人に思いをはせる。
自分の中にいるその人の姿が明瞭になって、会えない切なさと、その時の感情と、何とも言えない幸福感が入り混じった不思議な気持ちになる。

ひとりの時間は、その人とその人の思い出にじっくりと向き合うことを可能にしてくれる。誰かと一緒にいる時間が「いまのその人」に思いを注ぐ時間だとしたら、ひとりの時間は「過去のあの人」に思いをはせる時間である。
過去の出会いの一つ一つが今の私を形成している。そんな自分のピースになっている経験に、静かに思いを寄せる時間を、いつまでも大切にしたい。