本当は、推しのイベントに参加しやすい東京で頑張りたかった

21卒の私は、初めてのコロナ禍での就職活動を乗り越え、地元の大手企業に内定をもらった。厳密には、希望していた食品系の大手企業から内定をもらえず、夢見ていた上京も叶わず、唯一内定をもらえた地元のインフラ系の大手企業に就職することとなった。

4月から仕事が始まった。地元で興味もやりがいもない仕事をするのは苦痛でたまらなかった。「地元に貢献したいです!」とキラキラしたやる気のある新入社員を演じ、メモを取ることに必死だった。友人がSNSでアップした東京の綺麗なオフィス街を見るたびに、心がモヤモヤした。本当は推しのイベントに参加しやすい東京で頑張りたかったのに。何であの子なんかが。全く悪気もなくSNSをアップした友人のことも、それに劣等感を抱く自分にも嫌気がさしていた。

地元のインフラ系の大手企業への就職は、両親からは非常に喜ばれているが、自分が喜んでいない。しかし、人間関係や労働環境には何も問題がなかったうえに、転職する勇気もなかったため、退職するという選択肢は私の中で作らなかった。

就職し、同期に出会えたから推しのライブに行けた。仕事を続けよう

入社してから2か月ほど、心に霧がかかったような状態が続いていた。そんな中、推しのライブが久しぶりに有観客で開催された。落選して行けなかったはずのそのライブのチケットは、就職先の同期から譲ってもらった。推しのパフォーマンスを生で観た私は、久しぶりに生きた心地がした。大袈裟だと言われるかもしれないが、このために生かされているのではないかと感じる程に最高のライブだった。

この会社に就職したから、運良くこのライブのチケットを持っている同期と出会えた。推しのおかげで同期とも仲良くなれた。ライブまでは嫌でも仕事を頑張れた。仕事でお給料をもらえたから、ライブに行けた。推しの存在やライブが私の生き甲斐だ。大好きで尊敬する推しを通して、推しに再び会うためにも仕事を頑張って続ける必要があると感じたのだった。

推しのために仕事を続ければいいや。ライブから帰宅してベッドに入る頃に、この結論に至っていた。心の中の霧は消え去った。

推しに貢ぐための仕事は、企業・社会の発展に貢献している

所属している組織のために一生懸命働いている人、仕事にやりがいや誇りを持って働いている人にとって、推しのために仕事を続けるという私の考えは理解できないだろう。しかし、推しにもっと貢ぎたいが故に、出世・昇給を目指してさらに仕事を頑張って続けられるのは事実だ。仕事を頑張って得られたお給料で推しのライブや舞台に行き、また仕事を頑張ろうとも思える。結局は、推しのための仕事は企業・社会の発展に貢献している。

今日も私は推しのために仕事に行く。興味もない、やりがいもない。相変わらず仕事は大嫌いだ。推しのためというのは、結局推しに貢ぐお金のためと言われるだろう。しかし、私はお金のために働いているなどと言いたくはない。大好きな推しのために働いていると言いたい。推しは私にとって大切な生き甲斐だから。お金以上のものを私に与えてくれる存在だから。そのためだったら、大嫌いな仕事なんかに負けてられない。