小学校、中学校に行くように、大人になったら当たり前のように働くものだと思っていた。
特筆すべき特技や専門性もない私には、「雇ってくれるならどこでも働く」と思いながら就活をしていた記憶がある。けれど、どこかで「会社の駒になって働くより、顔の見える仕事がしたい」という気持ちもあって、あえて一緒に働く人が見えて、穏やかなコミュニケーションが取れる中小企業を選んでいた。そうして入社した会社は、人も、事業も、血の通ったまさに暖かみのある企業で、とても大好きだった。「だった」。

「私が会社のインフラになる」真っ黒なスケジュールが私の中身だと思った

大好きだったから、続けられなかったのだ。
6年間働いたうち、3年くらいはもう死に物狂いだった。「死ぬ気でやって死んでやる」が毎年のテーマだった。とにかく激務だったのだ。毎日県内外を駆け回り、プライベートで出掛けることもない愛車の走行距離は年間30000キロを優に超えた。

自他ともに認める「頑張りたがり」の私は大好きな会社だから、大好きな人たちのために、いくら自分を犠牲にしても構わない。休日なんていらない。社内外お願いされることは全部引き受けて、私が会社のインフラになる、そんな気持ちで仕事を回してきた。どんどん追加される予定でスケジュールは真っ黒になる。それと同時に、何者でもない私が求められているような気がしていく。手帳が埋まるほど、私の中身が詰まっていく。がむしゃらに働くことが私の存在意義だとむしろ嬉しいくらいだった。社外で出会うカッコいいバリキャリのお姉様達に憧れている自分もいた。

無理してでも続けたい、でも休みたいかな、でも、でも、でも。

自分の体調不良にも気づかず、目まぐるしい日々、年次を重ねるにつれ増える責任、見えない将来。それでもいつか身になる、好きな仕事だから、無理してでも続けたい、でも早くこの山を越えたい、でも頑張る分だけ「私が埋まっていく」、でも休みたいかな、でも、でも。

そう思ううちに、疲労は限界に達し、「これは普通じゃないかもしれない」と気づいた時、涙が止まらなかった。仕事が好きなのに、このまま働きたいのに、そうしたら、自分が壊れてしまう。この先これまでの仕事じゃ、なんのキャリアにもならないかもしれない。失恋のようだった。

正直、辛くてやめたいと思うことは何度もあった。でも好きな仕事だったから続けられた。無理して働く自分も嫌いじゃなかった。
なのに、痛感した「好きだから仕事する、だけど、好きなだけじゃ働けない」

今はのんびり、それなりに。それでも働き続けるのは「性に合っている」から

自分を大切にすることを完全に疎かにして、走り続けたのは、自分のせいもあるけれど、正直会社の組織体制にも原因はあった。治療して復帰したところで、同じことの繰り返しになることを危惧して、転職をした。

今、なんのために働くのだろう。
バリキャリの道を諦め、定時でのんびり、前の仕事の経験も生かせる仕事を、それなりにやっている。やっぱり仕事は好きだ。真っ黒だった手帳は、ほとんど空白のままになり、やりがいもお給料も減った。車のガソリンも全然減らない。旦那に専業主婦でも良いよ、と言ってもらっても尚、自分を守れる範囲で働くのは、多分、働くのが「性に合ってる」からかもしれない。
生活のため、将来の貯金のため、家族のため、色々あるかもしれないけど、単純に私は「自分のため」だろう。おかしな言い方かもしれないけれど、働くことが趣味に近いから。
会社で働くことだけが仕事じゃない。会社での仕事が減った分、家事という仕事にも注力できている。それが今の私の働き方だ。