私は「ひとりの時間症候群」だ。
実際そんな病気はない。風邪もめったにひかないし、怪我をしても血小板が人より多いのかすぐに早く治る。至って丈夫だ。
でも、ひとりっこのせいか、性格なのか、とにかくひとりでいる時間がないと発作が起きそうになる。本屋へも、ショッピングへも、海へも、焼肉屋にだってひとりで行ける私は、最近なんだか発作が出そうになる。

学校でもアルバイト先でも、自分のペースが崩されたくなかった

学生時代、友達と女子高生らしいはしゃぎ方をしたい時もあれば、昼休み中誰とも話さず校庭を眺めてる日もある。別に嫌な事があったわけではない。ただ、そういう気分なのだ。「あの子は気分屋だから」で済ませてくれた友達には感謝している。
アルバイトも一定の気分を必要とする職業にはつけなかった。「あの、海老フライ定食頼んだんですけど、これ違います」とか言われても笑顔で対応できるのかと自問自答した結果、私には不可能だった。
唯一長く続いたのが塾の講師だった。その日に行う授業をして、聞かれた質問に答える「冷淡な先生」と思われても、笑顔でなくても、正しい情報を言い、生徒の成績を上げればよかったので、私にとっては楽だった。

キラキラして充実した自分や生活をアピールする場のSNSを辞めた

そんな私は、24歳。周りは大人数でバーベキューや飲み会、合コンなど様々な「若者っぽい」休日を過ごす。私は若者の一員として、これらのイベントへ参加しなくては、という義務感に駆られる日がある。何かに置いていかれる気がする。そう思わせるのは、SNSの存在だ。
数年前のSNSは、自分の趣味や生活の一部を親しい友人と共有するツールだった。だが、最近はなんだか違う。キラキラし充実した自分や生活をアピールする場になっている。
「なんとなく今日を楽しく生きる」から「目的のある充実した人生」でなければいけない風潮がしてならない。これが発作が出そうになる原因だ。

去年、SNSを辞めた。SNS上でのみ連絡先を知っている友人や、実際にSNSから久しぶりに会おうとなった古い友人もいる。それに、SNSで仕事の連絡もある。
暇になるとSNSを開き、何年も会ってない友人や、本名も知らないインフルエンサーの日常を白い目で見る。ただでさえ交友関係の少ない私は、SNSを辞めた途端、社会から離されるのではないかと思い踏み切れなかった。
だが、自分が思っているほど実際はあっけないものだった。本気で私に用事のある人は、電話やメールをくれる。SNS上でしか繋がりのない人間関係は、本来必要ではなかったのだ。分かっていたはずなのに、ウダウダとSNSの足にしがみついていた。

SNSを辞めて、誰からも干渉されていない「ひとり」になった

私が買っていた本は、いつかSNSで本棚に載っていたかもしれない。私が買っていた服は、いつかSNSで見た流行りの服かもしれない。私が行った海は、誰にも囚われていない自分を演出していたのかもしれない。SNSにつくられた「私」はもういない。
SNSを辞めただけなのに。なんだか、誰からも干渉されていない社会の一部となった。もう発作は起こりそうもない。

「ひとり」の楽しみ方は、物理的なものだけではない。ひとりでやっているあらゆる事柄は、今の時代、誰かと繋がっている時間にもなっている。
ひとりでやっているつもりなだけかもしれない。心を「ひとり」にしてみるのだ。