「もし今あなたに会えたなら」。このテーマを見て、パッと思い浮かんだ人がいる。
私は中高一貫校に通っていた。その中学2年生の時、部活の3つ上の先輩が自殺をした。
やけに長い朝のホームルーム前の職員会議。よく晴れた日だったのに、暴風警報で帰れるんじゃないかと騒ぐクラスの男の子たち。
私は、何とも知れない胸騒ぎをかき消すように、本の世界に集中していた。
しばらくして、全校生徒が体育館に集められた。
「本校の生徒が亡くなった」
教頭先生が静かに説明をした。その時、誰か分からなかったが、女の人が悲鳴のような声をあげて泣き崩れたのを今でもよく覚えている。
同期が泣いていても、告別式に参加しても、悲しみを共有できない
その後、部活の同期と授業準備室で、気持ちが落ち着くまでいていいと言われた。正直、私はまだいつもの笑顔で先輩が現れてくれるのではないかと、そのことばかり考えていて、隣で泣いている同期の気持ちに寄り添い、共有することができなかった。
先輩の笑顔のようにパッと華やかなひまわりがたくさん飾られた告別式だった。その告別式に参加しても、泣き叫ぶ先輩や同期を横目に、私はなんとなく受け入れることができずにいた。
本当であれば、先輩や同期と悲しみを慰めあって少しずつ持ち合って、悲しみはそうやって乗り越えるものだと今ならわかる。でも、その時の私は、そうできなかった。
だから今でも、時々苦しくなる。
「あの時、何かできることはなかったのか」と。
私にとっての先輩は、おそらく初めて親以外から温もりをくれた人だった。
文脈は忘れてしまったが、部活の休憩中に先輩が「あなたのことが、大好きだよ」と抱きしめてくれた。それ以来、あの時の温もりが忘れられない。
あの時の私は、初めての他人からの温かい体温と柔らかさを知って、緊張と戸惑いで、何もいうことができなかったと思う。
思い出されるのは、笑顔の先輩ばかりで、自ら選び、意志を持って死んでしまった理由が今でも分からない。
その一件以来、学校側はいじめや心理ケアに力を入れていたようなので、おそらくはそういう類のことなのだろうけれど、真実は教えられない。憶測も虚しいだけ。
先輩の死に残る「なぜ」よりも、伝えたいことがある
最近、義理の曽祖母の告別式とお葬式に参列した。
94歳まで生きた曽祖母の告別式とお葬式は、涙はなく、「あの時のおばあちゃんああだったよね」と、曽祖母の昔話に興じる和やかな式だった。
自殺は人に「なぜ?」をたくさん残す。曽祖母の遺体を焼却するのを待つ間、父がポロっとこぼした。
その言葉を聞いてハッとした。
なぜを残して、彼ら彼女らはそれに答えることを放棄する、それが自殺なのかもしれない。
今、先輩が生きた年月より私が生きた年月の方がもう10年ほど長くなった。
もし今会えるとしたら、たくさんある「なぜ」よりも先に、伝えたいことがある。
私はきっと先輩に、「先輩のことが大好きです」と伝えたい。今度はちゃんと抱きしめ返したい。
そして伝えたい。
死にたいくらいしんどいことはあるけれど、それでも生きて、自分の世界を変えることも、そこで出会える大切な人たちもいるのだ、と。
私にとって、地元は息のできない場所だった。それでも、自ら道を開いて、別の土地で、別の環境で生きる続けることができるのだと。