インスタを開いたら、結婚式の写真が上がっていた。
「幸せだからいっぱいあげちゃう!ごめんなさい!笑」
と、全く申し訳なさを感じさせないキャプションと、新婚夫婦。
結婚したんだ、へえマジで?こいつと?
浮気された、と夜中に泣きながら電話をかけてきていたあの頃の彼氏と?
あんだけ周りを、っていうかわたしを騒がせて、結婚の報告はインスタかよ、と一瞬思ったけれど、「わたし」のポジションだった女友達はきっと山のようにいるんだろう。
大好きな友達だったのに。最悪最低な男が彼氏になった
大学時代、友達だった彼女から恋人ができたと報告されて、おめでとう!誰?って聞いたら、最悪な名前を聞かされて、おめでとう、を後悔した。
わたしや彼女と同じサークルだったその彼は、恋愛至上主義で、女の子の容姿を遠慮なくバカにするような最低な男で、でも表面上のノリが良いから飲み会なんかで重宝されていた。
「まだ彼氏いないの?一人ぼっちで寂しいな」とか「太ったくね?」とか、みんなの前で大声で言われて傷ついた女の子は数知れず。今思えば、その言葉そのものというよりも、それを笑いとして受け止める場の空気に、みんな傷ついていたのかもしれない。
彼が人前で女の子を貶さないのは、狙っている子のことだけ。わたしの友達だったその子は「狙われている子」で、彼から猛アタックされているのを、彼に貶されたことのある女の子たちは冷ややかな目で見ていた。
けれど、恋愛経験がなかった彼女はほだされていた。可愛くて、優しくて、すごく好きな友達だったんだけれど、大嫌いな男の彼女になってしまった。
彼女と遊ぶたびに、大嫌いな男の惚気を聞かされるのが嫌だった。
すごくかっこいいの、なんて言われても。いやいや、人の容姿を平気でいじる男のどこが?なんて言えるはずもなく。
案の定、一定の蜜月期を終えると彼の浮気がポロポロ発覚してきて、夜中にわたしの携帯は何度も鳴った。彼女はいつも泣きながら愚痴っていた。
ベッドに後輩のピアスと置き手紙?そんなの黒に決まってるじゃん。
そう言ってあげても、堂々巡りの話が続くだけ。
彼女とだけは恋の話をするのが嫌になって、ある日「恋の話なんてやめようよ」と笑いながら言ってみると、「一人だから寂しくてそんなこと言うんじゃない?」と彼女も笑いながら返してきた。
わたしと彼女の笑い方は、明確に異なる意味をはらんでいた。
一人だから、という言葉に乗せられた、嘲り。こんなこと言う子じゃなかったのにな、ってびっくりして、その言い方があの男にそっくりなことに遅れて気づいた。
恋人がいないことを嘲笑う人は一定数いて、この子はそっち側にいっちゃったんだな、としみじみと思った。「わたし個人」を見てくれなくて、「恋人がいる人間か否か」を見るようになっちゃったんだな、と。
一人でも楽しく生きられる方法をわたしは知っている
恋人がいないこと、一人でいることのなにがいけなくて、こんな笑い方を向けられないといけないんだろう?誰の容姿も人前でいじりはしないのに?
どれだけ周りの人を傷つけても、一人でいないことの方がすごいこと?
モヤモヤは消えなくて、でも言えなかった。
そういう価値観の人がいるのは知っていたし、そういう価値観が大手を振れる年齢だったのだ、二十歳そこそこというのは。
だんだんと彼女の誘いを断るようになって疎遠になっていって、大学を卒業して、気づけば社会人になってもう5年だった。
卒業5年で大学時代の彼氏と結婚。理想ルートだね、とインスタを眺めながら思うけど、理想なのかな、本当に?
少なくともわたしは、人の容姿を人前で馬鹿にしたり、恋人がいないことを嘲ったり、浮気を繰り返したりする男と結婚することが、理想だとは思えない。
彼女のキャプションにある「幸せ」のはらむ意味は、「一人でいないこと」とか、「卒業5年で結婚できること」とか、そういうことなんじゃないのかな。浮気されたことを泣きながらいろんな友達に電話していたこと、もう忘れちゃったのかな。
忘れちゃったんだろうな。彼女が「一人でいないこと」を大切にしているのなら。
そんなのは嫌だな、と思う。
わたしは一人でいたとしても、他者を嘲笑うことなく、他者も自分も尊重しながら、楽しく生きていたい。他の人の恋人関係とか容姿とか、そんなものを話題にわざわざ乗せなくたって、一人で生きる世界の中で出会う好きな小説や美味しいお酒なんかで、わたしは十分に楽しい。
きっとそんなことを言ったって彼女は信じてくれないけれど、まあそういう価値観もあるよね、と、彼女の投稿にいいねを押した。