連絡が急に減っても、これまで過ごした恋人としての時間を信じた
1日に1回は必ず連絡をくれるほどマメだったあなた。
急にLINEが届かなくなって、不安になった。自分でもドラマの見過ぎかと思うけれど、本当に事故や病気を疑った。
翌日、迷った末に「私、何か変なことでも言った?」ってメッセージを送ったら、「そういうわけじゃないよ」と返事が来たっけ。
それから返信の間隔は3日、1週間……とだんだんと広くなっていった。連絡が完全に途絶えたのは、ちょうど1度目の緊急事態宣言が明けるか明けないかのタイミングだったと思う。もう覚えてさえいない。
車で2時間弱。県境は跨ぐ、けれど遠距離なんて言えないような中途半端な距離が『不要不急の外出自粛』という御旗のもとで、ずっとずっと遠くなってしまった。
「仕事が忙しい時期だから」「信じているから」大丈夫。そう思った。
これまで恋人として一緒に過ごしてきたあなたとの時間が、それを証明してくれていたから。
でも現実は甘くなかった。当然だが、周囲の人には心配された。「それは絶対、自然消滅狙ってるよ」と。
そんな単純なことではないと、証明したかったのだと思う。勢いで「会いに行くね」とLINEして、あなたが食べたがっていた和菓子屋さんの手土産をもって、車を走らせた。1時間後ぐらいに「ごめん会えない」って焦ったようなラインが返ってきてたっけ。
この時、やっと、初めて、完全に諦めなくてはならない事を悟ったと思う。あなたの家の最寄り駅の駐車場で、一人で食べきれない量のお饅頭を見つめながら「やっぱり嘘つかれてるんだ」という事を察せざるを得なかった。
ちゃんと振ってほしくて、有終の美を飾りたくて、手紙を書いたのに
でも、何故はっきり突き放してくれないのだろう。流石に耐えられなくなって、手紙を書いた。振るならきちんと振ってくれよ、と。終わりよければ全てよし、有終の美、そんな言葉は恋の終わりにだって当てはまると思っていた。
あなたは真面目に返事を書いてくれたけど、その返事は全然納得できるものじゃなかった。
「仕事の忙しさから自分の理想の彼氏像になれない葛藤があって、今は恋人を持てない」
到底納得できる内容ではなかった。こんな言い訳じみた言葉を期待していたわけではなかった。
その言い訳は、あなたに告白された時、私が言ったことと本質的には同じだった。
「夢を叶えて一生懸命になっているところで、恋人を気に掛ける余裕がきっとない。だから、今は付き合えないと思う」
そう私は伝えたはずだった。
それでもあなたは、「一緒にいたい、会いたい、好きだという気持ちがあるなら、その方が大事だ」と言っていたと思う。「余裕がなくてもお互いに支え合っていようよ」と言っていたと思う。そしてあなたと過ごしていく中で、本当に大切な人に対して、「相手のことを思って」自分の気持ちを閉じ込めてしまうのは本当に勿体無いことだと思うようになった。
迷惑かどうか、無理かどうかを決めるのは自分だけではない。伝えれば、1人では思いつかないような解決策が見つかるかもしれない。ぶつかり合っても、角が取れて丸くなっていくかもしれない。
その過程で決別するのであれば仕方がない。相手に対して誠実であるために必要なのは、素直な気持ちを伝え続ける勇気なのだと学んだ。それなのに。
言い訳じゃなく「会いたくない、好きじゃない」であってほしかった
今度は私が支える番になればいいじゃん。それを乗り越える覚悟がなかったら、初めから付き合ったりしなかったよ。そんな重い内容の手紙を投函してしまった事は覚えている。
「いい女」は絶対にこんなことしないだろう。でも、素直な気持ちを伝えたかった。それが、まぎれもなく、あなたとの時間が作ってくれた私だったから。
人は変わりゆくもの。それでも、私があなたから学んだ事をあなた自身が否定した事で、私の過去は全否定されてしまった。
本当は「一緒にいたくない、会いたくない、好きじゃない」であってほしかった。もう、しばらく、誰も信じたくない。
とりあえず会ってきちんとお別れはしたかった。今までありがとうと直接伝えたかったが、それもできないまま。依然としてコロナ禍に生きている。
実は、この失恋話には面白い後日談がある。
不思議なことに、あなたとの思い出に紐づいた場所に私が足を運ぶと、必ず悪天に見舞われる。台風、大雨、暴風、雪。今日もまた、晴れ予報が一転し、雨が降っている。
もし今あなたに会えたなら。あの時よりもずっと綺麗になった私を見て、逃した魚は大きかったと思わせたい。
だって、「あなた、まだ私のこと好きでしょ?」