私が今会いたい存在、それは昨年の夏に空へと旅立った愛犬 “さくら” だ。

さくらは我が家にやって来た最初のワンコ。警戒心が強くて、でも私たち家族には満天の笑顔を見せてくれる、この世で1番可愛くて愛しい存在だった。
そんなさくらに今会えたら、私は彼女のふわふわブロンドヘアを優しく撫でたい。そして、一緒にお花見をしたい。

長い毛を自信満々に揺らし、満開の桜の中で立つ姿はなかなか愛しい

ポメラニアンのさくらは、細くて長い毛をいつも自信満々に揺らしていた。
春が近付く頃は、強い南風の吹く日が増えた。そんな風の日は、さくらは自慢の毛をなびかせて私に笑いかけたのだ。

お散歩に行くと、私がついてきていることを確認するかのように、時折振り返って尻尾を振っていた。私はそんなさくらに「ちゃんといるよ」と笑いかけたのだ。強い風の日は、小さな身体が煽られて倒されそうになっていて、細い脚で踏ん張って立つ後ろ姿も、なかなか愛しいものだった。

ちなみにそんな日のブロンドヘアは、すごい勢いで一方向に流されていてつい笑ってしまった。そんなさくらのふわふわヘアがすごく懐かしい。暇さえあれば触れたくなるあの毛質は、女子としては見習うべきものだったと思う。

そして最近、天気予報では桜の開花予想が報じられるようになった。毎年春が来て、ピンク色の桜の花びらが舞う中でブロンドを揺らすさくらを眺めるのは、何とも言えない幸せだった。
目の前に落ちてくる花びらに少し邪魔そうに目を細める表情は、なんだかこどもみたいで可愛かった。長いブロンドヘアには、桜の花びらが潜り込んだりしてブラッシングすると花びらが出てくるという、不思議な宝探しをしている気分になった。そんな春が毎年やって来ると思っていた。
でも残念ながら、そんな春は昨年が最後だった。

もう撫でることはできない“さくら”。それでも毎年春に咲く

できることなら、今年も来年も、これからずっと春はさくらとお花見がしたかった。花びら宝探しがしたかった。
でも命はいつか尽きるものだから、尽きるから美しいのだから、今年からのように叶わない思い出作りも生まれてしまう。

私はもうさくらを撫でることはできない。ふわふわブロンドヘアが、私の指を通ることもない。さくらが私の腕の中へ戻ってくることもない。
そんな現実は結構酷だけど、空へ旅立つということは、いつでも見上げればそこにいるとも言えると思う。いつだって会えると思う。思うようにしている。

それに私の最初の愛犬の名は “さくら” だ。春になれば毎年 “桜”が咲く。沢山の人が桜を求める。メディアのトップニュースにだってなり得る。ショップには春限定の桜アイテムが並ぶ。桜味スイーツも沢山販売される。

全く、なんて自己主張の強い子なんだ。春になったら日本中を自分色に染めるなんて。日本中の視線を掴むなんて。
私は彼女に “さくら” と名付けて本当に良かったと思う。だって、春が来れば必ず会えるから。街中で会えるから。春以外は空にいるけど、春になると降りて来るから。
そう言えば、あのカフェのシーズンフレーバーが桜になったな。もしかして、もう遊びに来てる?さくらちゃん、もうすぐ咲くよ。忙しくなるね。あの子、自分のことちゃんとできるのかな。私もう、手伝えないのよ。
さくらちゃん、今年も待ってるよ。 来年も、再来年も、ずっと。