小学校の校庭。私の小学校では恒例になっていた、全校生徒総出での草むしりの時、その女の子はじっと茂みを見つめると、さっと左手を中に入れる。
数秒後、ゆっくり慎重に腕を上げると、手にはバッタが一匹。
「ショウリョウバッタだよ。ほら、ここに口がある」
土と草の匂いとともに、バッタを私に突き出してくる。
ここ1、2年の間で、このような「その子」にまつわる思い出が頭をよぎるようになった。
誰に対しても裏表がなかったあの子。強くうねった豊かな黒髪に、まぶしい笑顔を丸顔にたたえていたあの子。当時学年の中で唯一の左利き。
何度かその子と話したことはある。何回か家に遊びに行ったこともある。けれど友達といえるほど、深い付き合いをしたわけでもなかった。今や名前も思い出せないのに、その子の姿だけは記憶に焼き付いている。
当時の友達ではなく、真っ先に「その子」のことを思い出すのは何故だろう……、と漠然と考えていたのだが、最近になってわかった。というよりは、今更気づいてしまった。
私は「その子」と友達になりたかったのだ。
虫にゲーム、自分が好きなものを貫いていたAちゃんに憧れていた
Aちゃん――名前を忘れたのでこう呼ぶことにする――は、小学校中学年までは男子とよく遊ぶ子だった。思春期が近づくにつれて男子と遊ぶこともなくなったが、女子と積極的につるむこともなかった。グループを作る、一緒にトイレに行ってあれこれ噂話をする、といった女子特有の人間関係には乗らない子、少し「変わった子」だった。
というのも、当時のクラスの女子たちと趣味がことごとくズレていたからだ。
Aちゃんは虫をはじめ生き物が大好きで、家でカブトムシやハムスターを飼っていた。繁殖に入れ込むほど熱心だったが、当時の女子たちはおろか、男子たちもここまではやらなかった。
絵を描くのも好きだったが、描くのは専ら虫とポケモン。しかも虫は写実的な画風で、アニメや漫画のデフォルメされた人物を描きまくっていたお絵描き女子とは話が合わない。
当時、男女問わずほとんどの生徒が何かしらのゲームは持っていたが、Aちゃんは電脳世界を舞台にしたアクションゲームや某『伝説』など、当時の男子に人気だったゲームが好きで、ゲームの分野でも女子と話が合わなかった。
だからといって、女子たちの輪から完全に外れていたわけでもなく、適度な距離感を保っていた。Aちゃんはそういう子なのだ、という認識が出来上がっていて、仲間外れにするもなにもなかったのかもしれない。
自分の世界を大事にしている子だな。当時、女子のグループに所属し、周りに同調する日々を過ごしていた私は、Aちゃんにそのような印象を抱いたものだった。今思えば、それはAちゃんへの憧れの気持ちだった。
自分の好きなことを語り合う大切な友達だったかもしれないのに
私は、自分の好きなものを大事にできなかった。
当時、私もゲームが好きだった。クラスの皆より少しだけ多くゲームソフトを持っていた。家族や友達と格闘ゲームなどをほぼ毎日していて、日に2時間以上はプレイしていたほどだ。
最近は聞かなくなったが、当時は「ゲーム脳」という言葉が流行っていた。ゲームをやりすぎると「ゲーム脳」となり「キレやすく」なるという言説が校内に蔓延しており、ある日、私の生活態度が先生に知れて、クラスの前で(私だけ)厳しく叱られたことがあった。
当時からかいの対象となっていた私は、さらに「ゲーム脳」とからかわれるなんてたまったものじゃない、と自尊心が働き、これを機にゲームに無関心を徹底的に装ったのだった。
私もハムスターを飼っていた。私もゲームが好きだった。一時期、Aちゃんと付き合いがあったのは、そんなわずかな共通点があったからだろう。でも、終わったのだ。ハムスターは死に、ゲームも絶ってしまった。
好きなことを語り合う友達は、大人になってもなかなかできないものだ。好きなことを語り合える友達になれたかもしれなかったのに、あの時、くだらない自尊心のためにビッグチャンスを逃したかもしれない。
今更ながら、そんなことを考える今日このごろである。