毎日同じ「仲良しランチタイム」。これは本当に休憩時間なのだろうか

11:55。
時計を見て少しため息をつく。
この会社の昼休みは、同じ部署の女性全員で社員食堂へ行き、他愛ない会話をしながら1時間一緒に過ごすのが決まりだ。
食堂のランチメニューのトレーを慎重に運ぶ人、朝コンビニで買ってきたカップラーメンにお湯を入れじっと待つ人、手作りのお弁当を広げる人、お互い今日は何を食べるかから会話が始まり大抵そこから仕事の愚痴大会が繰り広げられる。
毎日同じ会話。同じ笑顔。同じ笑い声。
誰も悪い人はいない。
全員優しい心で気遣い合って「仲良しランチタイムの空間作り」に努めている。
しかし、これは本当に休憩時間なのだろうか。
仕事の延長上のように思えてならない。
昼食後は、仮眠をとったり音楽を聴いたり動画を観たり読書したり各々が心身を休める時間が、本当は欲しいのではないだろうか。
いつも疑問に思いながら、口角をきゅっと上げ、とっくに冷めたカップラーメンの汁をちびちび飲んでいた。

産休育休明け、未だ鎮座する仲良しランチタイムに迎合せず、外へ出た

産休育休明け、約2年ぶりに職場復帰して最も驚いたことは、後輩が上司になっていたことでも経費精算が紙から電子化されていたことでもなく、仲良しランチタイムが消滅していたことだった。
感染症対策で社員食堂が利用禁止となり、昼休みは各自デスクで黙食する決まりになっていた。
なんと素晴らしいことだろう。
これでやっとみんな本当の休息がとれる。
感染症対策の徹底がもたらした思わぬ恩恵に感動していたのも束の間、すぐに私は現実を知ることになった。

みんな、最初の5分ぐらいで急いで食べ終えるとすぐデスクを離れてどこかへ消えている。
どこだろう。
気になってこっそり後ろをついていこうかと思った矢先、更衣室の扉から蛍光灯と賑やかなお喋り声が漏れていることに気づいた。
仲良しランチタイムは、場所を変えただけで結局この会社に鎮座していた。
せっかく自由な休息を手に入れるチャンスだったのに。
もしかして、周りはそこまで仲良しランチタイムを忌み嫌っていなかったのだろうか。
昼休みはひとりで過ごしたいと願っていたのは、私だけだったのか。
このままあの更衣室の扉を開ければ、また私は口角をきゅっと上げる1時間を過ごさなくてはならないだろう。

ひとりの自由より集まる楽しさを自ら望んでいる人達に、わざわざ私が迎合する必要はない。
あえてデスクにひとり残っては、親切心から誰かが声をかけ更衣室へいざなってくれるかもしれない。
更衣室の前を通りすぎ、そのまま会社のビルを離れて近くの公園のベンチに腰を下ろす。
いい天気だ。
ぽかんと口をあけ、ぼーっと空を眺めると、体中に新鮮な空気とエネルギーが満ちていくようでとても心地よい。
おひとりさま、最高。

学生時代の私がおひとりさまの私を見たら、顔面真っ青になるだろう

協調性がないと言われるかもしれない。
でも、11:59までの私は協調性ばっちりだし、13:00からの私も協調性の化身のごとく働いている。
それでいいじゃないか。
見事な開き直りに、自分でも少し驚いた。
ルールの範疇で自分にとって心地よい生き方を探しあてられる術とそれを肯定し貫く強さは、一体いつから身に付けたのだろう。
少なくとも、学生時代の私には全く無かった。
常に周りの顔色が気になって、どうにか仲間外れにされないよう頑張って、自分がどうしたいかなんて二の次だった。

就職したから?
結婚したから?
出産したから?
子育てしてるから?
分からない。
何か一つのタイミングというより、年輪を重ね様々な経験を積む中で、ゆっくり、じっくり、熟成されて滲み出てきたように思える。
学生時代の私が昼休みのおひとりさまを見たら、顔面真っ青でがくがく震え半泣きで「早く更衣室に行ったほうがいいよ!仲間外れにされちゃうよ!」と急かすだろう。

大丈夫。
その焦りも、心の痛みも、いつか解放される時が来るから。
その時まで、のんびり空でも眺めて、自分の心の声に耳を傾けてあげてね。
おひとりさまって、
なかなか良いもんだよ。