中学時代、机に突っ伏して授業参観日の休憩時間を睡眠に費やした日の夜、「あんた、友達いないの?」と母に心配された。
高校時代、学校行事のマラソンでひとり黙々と走った日の夜、「あんた、ぼっちなの?」と母に詰め寄られた。

大学時代、ひとり大学の食堂で時間をつぶしていたら、知り合いの先輩が断りもなく向かいの席に座り、「おまえ、ぼっちかよ」と私を嘲笑った。

言い訳をすると、中学の授業参観では睡魔が勝ったから睡眠欲に従っただけ。眠くなければ休憩時間は普通に友人と話す。

高校のマラソンは友人とペースが合わなかっただけ。完走後は友人と輪になって炊き出しの豚汁を食べた。
大学の食堂では、授業開始時間より早めに到着してしまったので課題をこなしつつ時間をつぶしていただけだ。

ひとりでゆったりと過ごす時間は私にとって必要不可欠

そして何より、私は昔からひとりで行動するのが好きだった。行きたい場所ややりたいことがあれば、何でもひとりで行動に出る。ひとりでカラオケ、外食、買い物、映画鑑賞、遠出…何でもした。ひとりで延々とカフェで時間をつぶすこともあった。ちなみに友人と出かけるなら、なるべく現地集合がいい。集合までの道のりは、ひとり音楽を聴きながらぼうっとしていたい。

もちろん友人や恋人と過ごす時間も好きだけれど、ひとりでゆったりと過ごす時間は私にとって必要不可欠。そもそも、誰だってひとりになりたいときはあるだろう。私はただそれが人より多いだけ。それなのにひとり行動が多いというだけで、私の周りの人間ときたら「ぼっち」だの「友達がいない」だの言いたい放題。本当に窮屈だった。

常に人と群れて生活することが正義なのか

さらに驚いたのが、とある学園ドラマで友人がいないと思われたくないからいつもトイレで昼食を済ませる「ベンジョメシ」が取り上げられていたこと。自席でひとりでごはんを食べることの何がいけないのだろう、と驚いた当時の私は異常なのか。

常に人と群れて生活することが正義なのか。私は間違っているのか…。ひとり行動が好きという気持ちと、ひとり行動をしたらまた何か言われるのかという不満の合間で、私はのたうち回った。

この世の中の風潮で、一歩生きづらさから抜け出せたような気がした

あれから数年が経った今では、以前から注目されていたヒトカラ(一人カラオケ)やひとり焼肉などの「ひとり○○」が男女関係なく当たり前になりつつある。私の周りの人たちもそんな風潮に乗っかったのか、ひとりで出かけた写真をSNSにUPしているケースを頻繁に見かける。今までさんざん私のことをぼっちだのなんだの言っていたくせに。

でも、この世の中の風潮で、私はまた一歩生きづらさから抜け出せたような気がした。ひとり行動をしても、昔のようにむやみに口出しされることがなくなり、少し解放感を感じた。常に友人や恋人と一緒にいたいという人間もいれば、私のようになるべくひとりでいたいという人間もいる。だから、「ひとり=友達がいない、協調性がない」というマイナスなイメージが、どうか消えてなくなりますように。

「ぼっち」なんて言わないで。ひとりが好きで何が悪い。