母の不機嫌が怖い。「楽しむ」ことができない大人に成長した私

子どもの頃、楽しかった思い出には、どれも暗い影がついてくる。

「楽しそうでいいですこと」
不機嫌な母の、この一言が私に呪いをかけていた。あんただけ遊びやがって、という裏側のメッセージが聞こえてきて、すごく嫌だった。せっかく楽しかったのに台無しにされた。そのうち知恵がついてきて、楽しい出来事があっても母の前では楽しくない演技をすると楽、と気づいた。

「明日Aちゃんと遊んでもいい?私は家でゴロゴロしたいんだけど、Aちゃん暇なんだって」
「今度、部活で大会の打ち上げやるんだって。絶対全員参加ねって皆に言われたけど、疲れるから早めに迎えに来てほしいな」
「今晩は夕飯なしでお願い。大学のゼミで飲み会の幹事が回ってきてさ。あー行きたくない」
楽しみ、という本心を隠し続けた。いつも自分の気持ちに嘘をつかなければならなかった。そうすれば母から嫌味を言われなくて済んだから。でもその代償に、私は遊びを楽しめない大人になってしまった。

一人暮らしになり母と離れても、長年の癖は変わらなかった。
私は楽しんではいけない。週末はせっせと家事をし、皮膚科や歯医者を受診する用事でなんとか時間を潰した。生活のためにやらなければいけない、という義務感で行動するから常に気が休まらない。友達とご飯に行く日もあったが、それを楽しんでいる自分に気づくと罪悪感で疲れるので、1ヶ月に1回が限界。当時は慣れない新社会人生活のストレスもあったはずだけど、気づかなかった。それくらい心が麻痺していた。とにかく記憶の中の、母の不機嫌が怖かった。
そんな日々を積み重ねて、二十代半ばで不安障害を発症した。

心療内科の医師が提案した治療法は「ひとりを楽しむ練習」だった

薬物治療で症状が落ち着いた頃、心療内科の医師から、「休みの日、1回は必ず外出して」と指導された。
行く場所ないですと返したら、「それを頑張って探して」とちょっと怒られた。そして、
「あなたが楽しめることは何?」
と質問された。

びっくりした。楽しまないことを怒られるなんて、初めてだったから。ひとりを楽しむ練習をすることが、私と医師の治療方針になった。

まずは、勇気を出してひとりカラオケに行った。個室に入ってしまえば歌うしかなく、気が済むまで同じ曲ばかり繰り返し歌ってみた。歌うのに疲れたら、ミュージックビデオやライブ映像を眺めたり。思いっきり大声でメチャクチャに歌ってみたら、一緒に涙も出てきて、少しスッキリした。
それを月1の受診日にお医者さんに報告したら、「上手く遊べましたね」と褒めてもらえた。嬉しかった。

しばらくひとりカラオケに通って、初めて知る自分にたくさん出会った。私ってバラードが好きなのね。小学生の頃に見ていたアニメの歌、かなりたくさん覚えてる。アイドルの歌は早口で上手く歌えないけど、キラキラした衣装やダンスを見るのは好きだなあ。
外出するようになったら服を買いたくなった。服屋に行くと、パンツよりスカートを履きたい自分に気づいた。
スカートをはいたらメイクをしたくなった。スカートに合う可愛い色のグロスを買った。
メイクをしたら、カフェに行ってみたくなった。ちゃんとおしゃれをしたら、おしゃれなお店に入る勇気が出たのだ。
カフェでお茶をしたら、自分でもお菓子を作ってみたくなって、インテリアを真似したくなって……それからそれから……。

ひとり時間を楽しむことは、心身ともに健康に生きれること

こうして私は、時間をかけて少しずつ遊びの種類を増やしている。心と行動が一致していると穏やかな気持ちで過ごせる。そうすると不安障害が身を潜めてくれる。コロナ禍のステイホームを上手に過ごせるというおまけも付いた。

ひとり時間を楽しむことは、心身健康に生きていくために必須だと知った。お医者さんからもそうしなさいって言われた。だからお母さん、許してね。

呪いをかけられていた子ども時代より、これから生きていく時間のほうがずっと長い。まだまだ私は楽しめる。次のひとり時間は何をしようかなあ。