習い事の月謝をもらうとき、なぜ父にお礼を言うのか疑問だった
母は痛みを抱えた人だ、と私は思っている。
母は毎日家事をする。娘(私)、息子(私の弟)、夫(私の父)のために。
料理、皿洗い、洗濯、ゴミ出し、掃除、片付け……。
私が気づいていないだけで、もっとやっていることはあるのだろう。
母はそれを全部請け負う。父は、何も、やらない。
母は毎日仕事にいく。非正規雇用のパートとして働く。
母は仕事を何回か変えている。子ども(私と弟)を産んでからは、全て非正規雇用の仕事だ。
父は新卒採用時からずっと同じ仕事をしている。正規雇用で、年々、給料も上がっている。
子どもの頃、習い事の月謝を母にもらうとき、こういわれた。
「お父さんにありがとうって言ってね」
なぜ、母に「ありがとう」ではダメなのか。母も父と同じくらいお金を稼いでいるのではないのか。
当時の私は不思議だったが、今はその意味が分かる。
母がなぜ「若く」いつづけることに固執するのか、不思議だった
母は毎日化粧をする。
毎日、おしゃれをする。1ヶ月に1回は美容院に行く。ムダ毛(あえてこの言い方をする)を剃る。
母は若々しい見た目であることを切望している(ように思える)。
「私が認知症になっても、髪を短くすることだけはやめてね」
これは、数少ない、母の家族への頼み事だ。
母は死ぬ時まで「綺麗で、若く、清潔感がある」ことにとらわれ続けるのだろうか。
母は弱音を吐かない。母は自分を見せない。
母が何を辛いと感じ、何に戸惑い、何に不満を抱えて生きてきたのか。
私は知りたい。
けれど、母は決してそうした事を話さない。
母は毎日、自分の人生には何の問題もないように、振る舞い続ける。
お母さん、何が辛いの。なんで時々ため息をつくの。
私たちに足りないところがあった?
ねぇお母さん、本当の気持ちを話してよ。
女であるがゆえに、一生苦しめられる。家事、仕事、若さの呪い
私は、母が「母親らしい」人かどうかなんてどうでもよくて、ただ幸せでいてほしい。
今日も母は家事をして、化粧をして、非正規雇用の仕事に行く。
今日も父は何の家事もせず、化粧もせず、テレワークで正規雇用の仕事をする。
アンバランスな夫婦。
それを見て育った、娘の私。
私は、母の様にはなりたくないと思っている。
他人のために家事をし続け、非正規雇用の職業に就いて、一生「若さ」の呪いに苦しむなんて嫌だ。
そんな女の姿しか見せなかった母を恨みたい。
でも母は母なりに、「女」として一生懸命に生きてきたことを、知っている。
母がそういう生き方をしてきたのは、母のせいではない。
母は女であるがゆえに、夫より稼げない。
母は女であるがゆえに、外見に気を遣わなければならない。
母は女であるがゆえに、家事をしなくてはいけない。
母の問題ではない。社会構造の問題だ。
だから、母を恨むのはお門違いだとわかっている。
でもやっぱり憎い。なんでそんな生き方を受け入れてきたのか。抵抗しようと思わないのか。
恨み、尊敬、愛情、憎悪、侮蔑、憧れ……。
母への感情は、一言では言い表せない。
痛いのは、母ではなく、私なのだろうか。
私たちは、娘と母である。
そして私たちは、女として、時代の狭間で引き裂かれている。