突然ですが、あなたは両親の年収を知っていますか?
なんとなく自分の親の収入は、世間のどの位置にいるのかは、小さい頃から感じていたかと思います。
同じ小学校の○○ちゃんはいつもブランド物の洋服を着て、ランドセルも赤色じゃなくステッチの入った可愛いもので、だとか、高校生になると、△△ちゃんの家はいわゆる高級住宅街にあって、子どもでも分かるほどの高級車に乗っていて。更に大学生になると□□ちゃんは、アルバイトをしていないのに、ご両親が買ってくれるからと、私たちが1ヶ月アルバイトしても買えないようなブランド物のバッグをいくつも持っていたり。
そうでなくても、「お父さんは医者です」なんて子は100%お金には苦労のない暮らしをしているし、その子のお母さんの身なりを見ると、なんとなく生活レベルが分かってしまう気がする。

バレエにホームステイに学費、私のためなら惜しみなくお金を使う親

我が家はいわゆる超標準一般家庭で、高卒で転職することなく真面目にキャリアを積み続ける父親と、保育士としていまだに現役正社員で働く母親。
特に生きていけないほどお金がないわけではないけれど、ブランド物のお洋服をねだれるほど余裕がある訳でもない。
外食や旅行を家族でしたことはなかったし、けれどその分、ホームステイや海外旅行など、私たち姉妹を存分に外の世界に出してくれた。
バイオリンにバレエという少し背伸びした習い事を姉妹で選んでしまったがために、両親は自分達の身なりや贅沢を犠牲に、レッスン代やコンサートのドレス代を払ってくれていた。
受けるだけお金がかかる大学受験も、「可能性がある限りは受けなさい」と、落ち続ける私に希望とチャンスを与え続けてくれた。
更に皆が奨学金を借りる中、大学4年間、姉においては8年間の学費を全て親が支払い、社会人になっても何不自由ない生活を送ることが出来た。

「全ては両親の犠牲のもと、成り立っている」
そのことは十分に理解していた。
十分に理解はしていたのだけれど、その時感じていたのは、薄っぺらい感謝だったと思う。

想像よりも低い父親の収入に衝撃。私の生活は両親の我慢の上にあった

時は変わり、事務手続きの際、父親の収入証明が必要になった。
そこで初めて両親の収入を数字として知った。
衝撃的な金額だった。
思っていた金額よりも遥かに低く、むしろここまでどうやって私たちを育ててきてくれたのだろうかというほどに。

姉妹揃って月に5万を超えるレッスン代、一度に何十万とかかるホームステイ代、公立大学に進学する頭がないために倍以上かかることになった大学の授業料。
病気になる度、入院する度馬鹿みたいにかかる治療費。
おまけに未だに実家に帰る度に洋服やアクセサリーを買ってくれようとする。
それらを差し引いて、両親が月々に使えるお金は?
私が、
「外国だー、ワーイ」
なんて遊び呆けている間も両親は働き続けていて、結果として何も残らなかった習い事に通うために、両親は欲しいものも、行きたい場所も全て我慢してくれていた。

「ありがとう」と言いたいから、両親の収入を知るべきじゃなかった

大人になると1万円を稼ぐことの大変さをひしひしと感じる。
1万円どころではない。
1000円稼ぐのにも、緊張しながらアルバイトを見つけ、家で寝たいと思いながら職場に向かい、1時間働いてようやく稼ぐことができるのだ。
その1時間の積み重ね積み重ねの犠牲の結果、お金を手に入れ、さらにそれを自分の為に使うことなく全て私たちの未来への投資として当ててくれたのだ。

何度も言うけれど、我が家の収入は日本の超標準という自覚はあった。
だからこそ両親に対して過度な贅沢を求めたことはない。
けれど、数字として収入を知った時、ありがたさより申し訳なさが勝ってしまった。
私が習い事をしたいと言わなければ、ホームステイに行きたいと言わなければ、そのお金で両親はもっと贅沢が出来たり、ゆっくり休むことができたのではないだろうか。
そんな事を言ってもどうせ両親は、
「あなたたちに使う為に働いてるから」
そう言うに決まっている。
だからこそ、両親の収入に対して、
「たくさんの犠牲を払ってくれて『ありがとう』」
と言えるような認識のままでいるべきだった。
「私のために切り詰めた生活をさせて『ごめんね』」
と思ってしまうことがないように、両親の収入を知るべきではなかったと思う。