昔の私を知っている人は皆、口を揃えてこう言うのだ。
「変わったね」
これは外見のことだけではない。

「信じれば、必ず夢は叶うんだよ」
こういう考えで、私の両親は私を育ててくれた。
叶えたい夢があるのなら、その夢を信じて、好きになって、真っ直ぐ進めばいい。
良い意味で頑固だった私の夢がブレたことはなかった。
夢と希望をいっぱい手にして、育った私。「私には絶対に叶えたい夢があるんだ」と、目を輝かせて周りの子たちに夢を話した私。夢のためにかき集めた本や資料、アイデアブックをもって写真に写っている私。

そんな私は、いつからか自分の中の軸をパッと消してしまった。
「大人になるって、そういうことなのかも。きっと」
大学時代の友人はこう言った。
そうか、大人になるってこういうことなのか。

あふれたのは、逃げるための言い訳。驚く友人に会うのが辛かった

結婚、出産、これからの自分の生活はどうしようか、といわゆる"年相応"のことを考えた。歳をとると見えてくる現実を、良くも悪くも意識してしまう。
「とりあえず、夢を追いかけるにもまずは安定した仕事についてからだな」なんて言い訳を作った。
「これなら、私の夢に少し近いのかな」「とりあえず、40歳くらいまでは安定して働こう。そこから夢を追うのでも遅くないよね」なんて、それっぽい理由を積み上げて、そして、逃げた。

進路を決めた私に驚くのは昔の友人たちだった。
「小さい頃からずっと夢持ってたじゃん。絶対その夢を追うと思ってたから、意外」
もちろん、今の私の進路を反対する人もいなかったし、みんな新たな私の道を応援してくれたけれど。
私は、昔の友人たちに会うのが辛くなってしまった。自分が逃げたことを思い知り、いかに過去の私が自分の夢を誇っていたのか、過去の私にいらだちさえ覚えてしまう自分が悲しかった。

信じぬく覚悟がないくせに、未練はたらたら。そんな時に見つけたのは

自分の軸がぶれた大きな理由は、まだよく分かってない。でも、ひとつ言えるのは「大人になった自分が、小さい頃からの大切な夢を追い通す、信じ抜く覚悟がなかった」ということ。
見えないくらいに少しずつ、自分の中で消えていくカケラに気づかずに大人になった私は、夢を追う、自分の生きる指針を壊してしまった。

そういうわけで、私の夢は迷子になってしまった。大人になって初めて、「自分の夢が欲しい」と切望する。
そして、ちがう道を進みながら、未練がましくこんな思いをたらたら述べる自分にこれまた悲しみを覚える。

そんなある日、実家で小さかった頃大切にしていた宝箱を見つけた。懐かしいな、と思って開くと鍵とお守りが入っていた。
その鍵には、自分の名前と作った日付が入っていて、そして何よりも大切な私の宝物だった。
その鍵を見て、記憶が蘇る。
「どんな時だって、夢だけは絶対にブレなかったでしょう」
「この鍵を使って、夢を開くんだよ」
ああ、過去の自分は底なしにポジティブで、輝いていたのかもしれない。
そして、誰よりもこの夢を愛して、信じていたのだろう。
お守りに書いてある、自分の字がそう伝えていた。同時に、過去の自分の溢れるほどの夢と希望を浴びた気持ちになった。

私の夢を誰よりも信じている、過去の自分に奮い立たされた

うん、そうだよね。
生きる指針を揺らしてしまったのは私だけれど、この生きる指針を戻せるのも私でしょう。
夢と希望で育った私の信念はなんだ。
誰よりも夢を誇っていたのは紛れもない私自身だ。

自分の夢を本気で語るのは、少し照れくさくて、少しドキドキする。そして、最高にワクワクするものだ。
歳をとるにつれ、見えてくるものがある。自分も、周りの環境も全く同じなんてことはない。それと同時に、見えなくなるものもある。
小さいことでもいい、大きすぎてもいい。目の前の目標でも、長い人生の終着点でもいい。ブレてもいいし、まだ見つけてなくてもいい。
自分が自分たる理由を探していこう。
夢を追うことは、自分を活かすことだ。