「会社は個人を守ってくれない」というのはみんなは知っていることなのだろうか。少なくとも私は知らなかった。いや、過労死を認めない企業やブラック企業のニュースを見て、わかってはいたはずだ。ただそれでも会社という場所が、個人の尊厳を踏みにじるのが容認される場所だとは思っていなかった。

休職が決まり「優秀」と貼られたレッテルは、「難がある」に付け替え

新卒で営業として入社した会社で2年目に、ある店舗にマネージャーとして異動となった。最年少でありながら責任者。単純に私の存在が面白くなかったのだと思う。昔からその店舗にいたスタッフAによる嫌がらせはすぐに始まった。無視、避けられる、朝礼で私が話し始めると他の人とのおしゃべりを止めない、私がオフィスに入ると「ここ空気悪くない?」と大声で言って出ていく。毎日そうした攻撃を受け、私の心は少しずつ限界を迎えていった。

いろいろあって、本社で私が休職するか否かの面談があった。私は休職ではなく、問題の解決を求めたが聞き入れられることはなかった。私を黙らせるために上司は「あなたの目が怖いという意見も出ている」「今僕を見る目も怖いし」と私の外見を侮辱してきた。
その場に居合わせた誰もが敵だった。休職は決まり、「2年目でマネージャーになった優秀な新卒」という勝手に貼られたレッテルは、「コミュニケーション能力とメンタルに難がある新卒」に付け替えられた。
結局その後うつ病と診断され、会社に戻ることなくそのまま辞めて無職となり、1年後に新しい会社に就職を決めた。

話し合うべきか、否か。迷った時背中を押したのは大学での学びだった

次の就職先に入社を控えている時期に、いろいろな偶然が重なり、以前の会社の人事と直接話し合う機会が与えられた。けれど私はもうその会社とは無関係で、正直会社の人間の顔も見たくなかった。ただ「自分が去ったからもういい」と言ってしまえば、私の中の大切な何かが失われてしまう気がした。
ハラスメントが社内で蔓延していることは知っていた。苦しめられ、結局そのまま辞めた人、生活のために耐えるしかなかった人。そんな人を実際に見てきた。

話し合うべきか、否か。迷った時背中を押したのは大学で学んだことだった。私は国際学を専攻し、アメリカの人権運動について学んでいた。歴史に名を残した人々の誇り高い軌跡を反芻する。彼らが立ち上がった時、それは自分を守るためだけだったのか。違う。自分の尊厳、自分の後に続く人たちの尊厳が、社会的弱者というだけで踏みにじられないために、戦うのだ。
ここで「自分はいいから」と声を上げることを諦めるなら、私は私の大学での学びさえも否定することになる。どういう結果になったとしても、誰か一人が声をあげた、その事実が少しでも何かを変えるかもしれない。会社が変わるのは難しいだろう。けれどもう誰にも同じような目に遭ってほしくなかった。

投げた石は会社に届いてすらいなかった。それでも私が戦う理由

意を決した私は申立書を作成し、人事の担当者と話した。
2ヶ月後、今度は人事から呼び出され調査結果を聞かされた。要約すると「スタッフAの行為に他意はなく、上司も外見を侮辱する意図はなかった。よってハラスメントは存在しないと判断するが、申立を受け今後研修等で対策をとる」というものだった。
会社が認めないことは予想通りだったが、想像以上に荒唐無稽な主張を延々と述べられ驚いた。
ちなみに私の申立は人事と当事者周辺のみで処理されたらしい。会社に石を投げたつもりだったが、会社には届いてすらいなかったようだ。

それでも私が投げ入れた小石の波紋は確かに存在する。事実、私の身に起こったことを知った人は既に退職したり、転職活動をしたり、とその会社から距離をおこうとしている。

個人の尊厳が他人に蹂躙されるようなこと、それを正当化させられることなどあってはいけない。けれど現実にそれは起こる。そしてそうなった時、自分の尊厳のために戦えるのは自分だけなのだ。もちろん、自分を守るためにその場から去るだけでも十分だ。私はたまたまもう一度自分の意見を伝える機会を掴み、その時戦いに耐えられるだけの心と体の健康があったに過ぎない。
平和に働けたらそれは幸せなことだと思う。私もあの会社で働き出すまでこんなことがあるなど知らなかった。
知ったから強くなれた、なんて簡単に前向きになれるほど、まだ過去のことにはできていない。知らないで済んだなら、知らないで居たかった。
けれど、もう知らない自分には戻れない。それなら腹を括ってこれからも戦おう。