「は?成功してる人、私の周りにいっぱいいるよ。あなた、負け組の人なんでしょ」
と、言われた。
私は実は女優を目指していた。けど叶わなかった。
そのことを求職活動の中で告白してみたら、言われたことだ。

女優の夢破れて「負け組」と言われた。でも、環境さえ良ければ…!

なぜ女優を目指していたのか。
私は小さい頃から「自分は世界の主役だ」と思ってたからだ。
周りのことは見下していたし、みんなは私を引きたてるための名前のない顔のないモブだとさえ思っていた。
自分はこの世界の主役だから注目されて当然だったので、注目の的の典型的存在、女優になることは、夢どころかむしろ当たり前だった。
みんなが就活に勤しむ時期に芸能スクールにも行き、オーディションも何個も受けた。
だが結果、私は結局女優になれなかった。
今では心も身体も病んでしまい、求職活動もうまくいかないアラサーのニートだ。

「女優を目指しても叶わなかったこと」は、エピソードトークとして供養していたが、結局響かない人には「は?」という反応をされ、グサッとくることを言われるのだ。
負け組、と言葉を放たれた時はかなり惨めだった。
そう言われた時は「きついっすね〜」と笑って返したが、その後その人からの連絡はフルシカトを決め込んでいる。
めちゃくちゃ傷ついたし怒っている。
今でも何かを失敗するたびに思い出す。

思い出すたびに脳内で言い訳&屁理屈大会が始まる。
「女優になれない人の方が多いのにそういう言い方するかね!?」
「女優になれるのだって運も必要だし、実力とかそういう問題じゃないじゃん」
「運が良くないのも負け組っていうわけ?なら宝くじ一等が当たらない人はみんな負け組なんですか!?」
とグルグルする。
そして私は親が厳しかったため、小さい頃から女優を目指していたものの、芸能関係の習い事ができなかったことも思い出す。
生まれが田舎すぎて環境も整っておらず、オーディションに行くことを許可されたのは高校を卒業してから。
芸能スクールでは小さい頃から子役で活動してる子に、初日に「遊びで来るなら田舎に帰れば?」と言われるほど経験不足だった。
環境さえ良ければ……!
もっと都会に生まれてるか芸能一家に生まれていれば、こんなことにならなかったのに……!

私は悲劇のヒロイン、という言い訳が通じない同郷の「推し」

そんなグルグル思考はいつの間にか「自分は主役になる器だったのに、環境にめぐまれなかった悲劇のヒロインなんです!」にまで飛躍していく。
しかし、悲劇のヒロイン症候群が通用しない相手がいる。
私が応援しているタレント、私の「推し」だ。
大手事務所に所属し、アリーナでのライブ経験もあるし、歌って踊れてお芝居もできて冠番組も何個も持つ、大活躍の売れっ子な「推し」だ。
そんな「推し」とは面識は全くないが、同郷で同世代なのだ。

だからこそわかる。
「推し」は田舎で、芸能関係に恵まれていない環境で育っている。
それどころか私より環境は悪そうだ。カラオケが近所になく、高校を卒業して、上京してから初めてカラオケを体験したらしい。私は中学生からカラオケに通って自己流でボイトレをしていたというのに。
もっと歳が離れていたら「でも今はYouTubeで歌や踊りのハウツー動画を見まくれるからな。私の頃とは違うもん」とまだ言い訳できる。
だが同世代だから「あの頃はハウツー動画どころか、ハウツー本もあんまりなかったもんな……」と、逃げ道はない。

「推し」は高校を卒業して上京してから芸能スクールに通って、仕事を勝ち取っているのだ。
つまりここからわかることは、「推し」は、才能も実力も努力も全部ひっくるめて世界の主役になれる器があった人。私はそうじゃない人。
単純で残酷な話だ。
「推しちゃんすご〜い!歌うまい!演技上手!また人気作品に出るのね!さすが!」と反応するたび、ちょっとだけ「同じような環境で同じようなことを目指しても、ポテンシャルの違いでここまで明暗が分かれるのね」とズキっとくる。

そしてリフレインされる、求職活動中に言われた「あなた負け組の人なんでしょ」。
舞台で華やかに歌って踊る「推し」は、主役で勝ち組。
それを客席で見ている私は、モブで負け組なのかもしれない。

私はモブ?でもいま「推し」を見て幸せな私は負け組なのだろうか

しかし、ハッとした。
いや?負け組か?「推し」の姿を客席で見れているのに?そんな幸せなことしてる私が負け組?
いいや違う。
先ほどズキっとくるとは言ったが、それも含めて「推し」のことが私はめっちゃ好きだ。
そんな現実を突きつけられるのも痺れる。
「推し」を応援している時はうっとりして現実逃避もしているが、その行きすぎた現実逃避を止めて、いい感じに現実に引き戻してくれる感じもたまらない。
「自分も少しは頑張らなきゃ」と尻を叩かれる感覚だ。

そんな風に人生に影響を与える「推し」を見つけられて、間近で応援できることは本当に誇っていいことだと思う。
ライブやイベントに行けることだって貴重なことだ。推しててもさまざまな事情で会場に足を運べない人はたくさんいる。
そして大前提として、モブであることは果たして負け組なのか?

「推し」にとどまらず、私は好きなものがたくさんある。
文章を書くこと、絵を描くこと、写真を撮ること、買い物すること、カフェに行くこと、猫と戯れること。
時間が足りないくらい楽しいと感じて好きなことだらけである。
飛び抜けて目立って活躍して注目されることだけが全てではない。
人生を勝ち負けの尺度で決めるのもおかしな話だ。
胸のトキメク瞬間を、生きている間で何度も味わえることが大切だと思う。

ただ正直、自分がモブだということは知らなくてもよかった。
やっぱり自分は世界の主役の器だと思い込んでいた時期は長かったので、そうじゃないという事実は辛い。今でも何かでメンタルが落ちると苦しくなることはある。
もし「あなたはこれからこの世界の主役になれます!」というチケットを手に入れたらすぐ使うと思う。
面白そうだし、「注目されたい!」という気持ちは結局モチベーションに繋がる。
つまりは自己顕示欲、と呼ばれるものだ。これも私の中で大切な要素なのだろう。
だからこれからも青い炎のように静かに心の奥に持ち合わせておく。