当たり前に手にできると思っていたものは、実は手にすることが難しい
物心ついたころから、 「誰かと結婚して家庭を築くという将来が、当たり前にやって来る」と思っていた。何なら、考えてもいないくらい、その未来を信じて疑っていなかった。
27歳になった今、こんなにも当時考えていた「当たり前」が難しいことを私も、あなたも、予想していなかったことだろう。
子供は何人ほしい?
家は?一軒家?それともマンション?
ハネムーンはどこに行こう。
そんな、やり取りを行った記憶があるのは恐らく私だけではないはずだ。
私も、いろんな夢が膨らんだ。
子供は3人で、家は注文住宅。ハネムーンは、そうだなぁ、海が好きな人ならニューカレドニア。山が好きな人ならスイス。食べるのが好きならスペインなんてどうだろう。
現に、海外旅行好きな私は既に15か国ほど訪問しているが、上記3か国を訪れてはいない。いつしかやってくるハネムーンのために、取って置いているのだ。だが、そんな気遣いは無用だったと今になって思う。
当たり前に手にできると思っていたものの正体が、だんだんと実は手にすることが難しいものなのだと気づいた。
手に入らないものに拘るのではなく、私にしかできないことをしたい
27歳といえば、結婚適齢期と言われるが、もちろん、私の周りの友人も徐々に結婚する人が増えてきた。私が当たり前に手にできると勘違いしていたものを手にする人もいる。
結婚して、家を建てて、子供を産む。そんな彼らを見て、「いいな」と思わないわけではない。
誰かと手を取り合って、寄り添っていく人生も素敵だと思う。でも、それを手に入れられる人と手に入れられない人、手に入れたい人と、手に入れたくない人がいるのが現実だ。そして私は後者なんだと思う。
結婚は素敵だと思う。でも、誰とでもいいからしたいわけではなくて、結婚したいと思える人としたい。妥協は一切したくない。となると、自分は微妙な立ち位置だ。
ただ、現状、結婚したいと唯一思った人は他の女性と結婚してしまった。気づくのに時間はかかったが、手に入れられないものをいつまでもうらやましいと拘っていても、虚しくなるだけだ。ましてやそれにとりつかれて、今ある貴重なものに気づけないのももったいないと思う。
だから私は、彼らがしたくてもできないことをしたい。そう思った。
失うものがない私は無敵。最初で最後の賭けを自分の人生で行う
新卒採用の時、客室乗務員を目指していた私は、大手日系企業の2社しか受けなかった。外資系のエアラインは避けたのだ。
理由は結婚したかったから。国際結婚に憧れはあったものの、なんだかんだ、現実的に結婚するなら日本人男性と……と漠然と考えていた。結婚しない未来を考えていなかった当時の私は、無論、日本にいる道を選んだ。
だが、結婚することをやめた今、日本にいなくてもよくなった。むしろ、こんな自由なことなんてこの先ないかもしれないとまで思った。
誰も私を制限できない。私は自由だ!!
そう気づいたら、なんだか失うものなんて何もない気がしてきた。
私は無敵だ。
実際、日常会話もままならない私が海外で生活を始めようとしたら、きっと大変なことばかりで打ちのめされるのだろうと分かってはいるものの、そんな失敗も、今しかできない。
一人で生きていくことを決めた私は、ひとまず、大好きな海外で自分だけの力で生きてみようと思う。そしてその先に、もしかしたら、誰かと生きていきたいと気づく未来もあれば、一人で楽しく海外で生活する道も、大好きな海外を嫌いになる道もあるかもしれない。
賭け事が嫌いな私は、最初で最後の賭けを自分の人生で行おうとしている。さて、その先の未来の私の隣には誰かがいるだろうか。