将来について考える時に浮かぶのは、おじいちゃんとの約束
付き合っている彼氏と、将来のことについて真剣に話すことがある。どこに住みたいとか。どういう家に住みたいとか。子どものことについてや、結婚式はどうするかなど、話せば話すほどまだ見えぬ未来に夢が膨らむ。
結婚式のドレスは、どういうドレスがあるのだろうと思い、携帯を手に取る。
「この色のカラードレスもいいな」「でもやっぱ和装も捨てがたい」「ウエディングドレスはこの形がいい」
そんなことを一人で考えながら、ある会話が頭に浮かぶ。それはおじいちゃんとの会話で、おじいちゃんとの約束だった。
スマホの写真フォルダを開き、おじいちゃんの写真や動画を見る。
懐かしいおじいちゃん。懐かしい声。懐かしい思い出。全てがフォルダの中で生きている。
「ウエディングドレス姿見るまで死なれんわ〜ドレス姿見たら、じいちゃん泣いてまうやろうな〜」
それがおじいちゃんの口癖だった。
「ドレス姿楽しみにしていてよ!長生きしてね」と私は答える。「ウエディングドレスを着て一緒に歩きたいな。すごく喜ぶだろうな」と心の中で思いながら、いつしかウエディングドレスが2人の約束になっていた。
27年間必ず近くにおじいちゃんの存在があり、大きな愛情をもらった
東京オリンピックが開催される前、梅雨が明け、これから夏本番という時におじいちゃんは亡くなった。大往生だった。
でも、もっともっと長生きすると思ってたし、ずっと生きているものだと思っていた。ふと、「今もどこかで生きているんだろうな」とか無性に「会いたい」と思う時がある。
寡黙で無口なおじいちゃんだったが、いつもそばにいてくれた。
私が体調を崩してお出かけできなかった時に一緒に遊んでくれたのが、おじいちゃんとの一番最初の記憶。私が3才の時。親に怒られた時は、おじいちゃんの布団に潜り込んでいた。避難場所になっていた。その時も何も言わずに大きな手で頭をなでてくれた。
幼稚園の送り迎えも、風邪をひいて病院へ連れてってくれるのもおじいちゃん。学校から帰ってきたら「おかえり」と言ってくれた。一人暮らしをして実家に帰ってくると、嬉しそうにニコニコしていた。
27年間必ず近くにおじいちゃんの存在があり、すごく愛情をもらった。
ウエディングドレスを着た時、おじいちゃんは静かに涙を流すだろう
おじいちゃんは若い頃に外国航路の船員で世界中を渡っていた。船を見るとおじいちゃんを思い出す。コロナが落ち着いたらおじいちゃんと一緒に思い出の地へ行きたいなとも考えていた。
もっと一緒にお出かけしたかったとか、もっと話をしたかったとか、考えれば考えるほどいろんな思いや後悔が溢れ出てくる。一緒に暮らしていたらあまり思わなかったことが、いなくなってから気づく。
コロナ禍で全然会えない中、おじいちゃんは亡くなってしまった。感謝の言葉もお別れの言葉も伝えることもできずに。もちろん、ウエディングドレス姿を見せることもできなかった。
今はおじいちゃんの口癖が、頭の中で思い出として残っている。今は手を合わせておじいちゃんに感謝の言葉を伝えている。そして、結婚式の時は必ずおじいちゃんは見に来てくれると。
私がウエディングドレスを着た時、おじいちゃんは私を見ながら静かに涙を流すだろう。そして、いつものあのくしゃっとした優しい笑顔を見せてくれる光景が見える。