私は「この世から仕事の概念がなくなればいい」と思うアラサーで、無職で求職活動中だ。
私のゴミクズのような最近までの職歴を紹介する。
転職活動中や休職中の方たちが「自分はまだマシ」と安心してくれたら幸いだ。
8年間のニート生活から脱却できたのは、「推し」に出会えたから
まず28歳まで働いたことがなかった。全く働く気が湧かず、8年ほどニートをしていた。
ニート晩年期に地元が同じタレントにどハマりし、そのタレント、いわゆる「推し」に会えるかも?と思い、29歳目前でイベント会社に入社した。
ニート人生に終止符を打ったつもりだったが、「会話が出来ない」ということで8ヶ月でクビになった。
転職活動は全て不採用で決まらなかった。
とりあえずとバイトで100円ショップに入ったが、レジが異常なほど出来なかった。
ミスを連発しクレームもいただき涙が止まらなくなり、1週間で辞めることとなった。
「対人の仕事はダメ」と思い、次は倉庫内ピッキング作業に決めた。
1人で黙々とできる作業はよかったのだが、倉庫内の冷凍庫並みの寒さに耐えられず初日で腹を下した。
このご時世、体調不良だと出勤停止になってしまい、即日退職となった。
自分は何にもできない人間なんだなとかなり落ち込んだ。
訳はあろうが職場を転々としすぎ。社会不適合者じゃないか。
ただ、労働の意欲はある。とりあえず失業手当を貰いつつ求職活動をしている。
実家暮らしだから、親不幸者という烙印を再度受け入れればニートに戻ろうと思えば戻れる。
そんな図太さを持っているから8年間、本当に1度も単発バイトさえしなかったのだ。
しかし、お金が入ってこないという状況はかなりまずい。
無職真っ只中の私。オタク仲間から推し活を「仕事みたい」と言われた
「推し」のために使えるお金がなくなってしまうのが辛すぎる。
それにやっぱり、こんな私でも「働いていない」ということに後ろめたさを感じる。
そんな無職真っ只中だが、「すごい働いているじゃん!」と言われたことがある。
これは私の「推し」への活動をみて、の言葉だ。
近所で交流のあるオタク仲間に、「推し」について「こういう作品に出てほしいんだ」「本人はこういう仕事がしたいと思うから、こういう風に売れてほしいんだ」と語りまくっていたら、
「ただ好きという感情だけじゃない、そんな風に分析して推しのことを考えるのは、マネージャーみたい。それはもうお仕事みたいなものでは?」
と驚かれた。
「そこまで推しに対して応援できる姿勢が素晴らしい。私もあなたの『推し』君のこと好きだけど、そこまでは出来ないもの」
とも言ってもらえた。
私なりの「推し」を広めるための活動は、今の私ができることで
私の「推し」についての考察は、本物のマネージャーには到底及ばない、ただの好き勝手言ってるオタクの独り言に過ぎない。
だけど、推しについて真剣に考えまくっているのは確かだ。
推しの出演番組を見聞きして、感想を送ったりメールを書いたりと文章を書いている。採用されるように文章構成にも頭を悩ませる。
ハンドメイドで推しのグッズをデコったり、グラフィックソフトでイラスト描いたり制作活動もしている。
イベントに参戦したらSNSでしっかり写真とレポを載せて、1人でも多くの人に推しを広めようともしている。
もちろんこれらは推しを応援するためのもので、お金にはならない自己満足の活動だが、これは「私ができること」には変わりない。
仕事ができない、何もできないと落ち込んでいた私だが、決してそんなことはないと悟った。
もちろんライティングも制作活動もSNSもプロからすればひよっこだが、これから伸ばしていけばいいことだ。
何もできないわけじゃない。短期間で変われた私はもっと成長できる
時間はかかるかもしれないが、「いつか自分ができることでお金が貰えるような仕事ができるように頑張って行こう」と思えた。
それを今後の主軸にすればいい。
これからもいろんなバイトを転々とするかもしれないけど、即日で辞めてもその日は頑張った、とりあえず働いてお給料もらえていたらオーケー!ということにしよう、と自分を許す最低ラインを決めた。
8年ニートをやっていた時は一生ニートなんじゃないかと思っていたが、短期間で環境も心境も変われたんだ。
だからこれからもっと成長できる、そう自分に言い聞かせる。
何もできないわけじゃない、自分のが得意なところを伸ばし、それを仕事にし、いつかその「仕事」というものを好きになれるようになりたい。