自分勝手に過ごせる「ひとりの時間」には、価値がある

私、ひとりの時間がすごく好きで。
このフレーズを今まで、割といろんな人に言ってきた気がする。けれど、これはパートナーがいる状況で言うのと、パートナーがいない、いわゆるフリーの状況で言うのと、全然意味合いが違うなと思っている。根本的な意味では一緒なのだけど、自分の置かれている状況が異なるだけでも、きっと伝わり方は違う。

わたしとしては、ひとりの時間を自らつくって、映画を観に行く、家でドラマを一気見する……。時間の使い方としては、双方変わらないと思っている。
けれど、パートナーがいる状況で、ひとりの時間が好きだ、となると、誰かと共に過ごす時間も大事にしながら、自分の趣味もしっかり楽しんでいるような、とても充実した時間を過ごしているように思える。
そもそもパートナーがいない状況で、ひとりが好きって、自然発生的な現象だよねって、きっと誰か心の中でツッコミをいれているようにも思う。というより、今の自分が一番、ひとりの時間は、誰かと過ごす時間があってこそ輝くものだって、分かっている。
だけど、パートナーがいようが、いまいが、どんな状況にあっても、ひとりの時間は価値のある時間だ。

なんで価値のある時間なのだろう。自分に問いかけてみる。

もちろん、好きな映画を観たり、読書をしたり、自分の好きなものにどっぷりつかれる!だけど、一番の理由は、誰にも気をつかわなくていい。

NO、と断れない性格で、割とすぐ気を使いがちな私は、人と一緒にいると少しストレスがたまる。だから、ひとりで過ごせる時間は好きなお店に入って、好きな時間に帰れて、自由気ままなのだ。自分勝手に、わがままに過ごせる時間。ひとりでいると楽だから。いつでも自分優先にできる。

大切な人と過ごす時間があることで「ひとりの時間」をもっと楽しめる

彼氏がいたあの頃、どうだっただろう。遠距離で、なかなか会えないから、不規則な勤務時間の合間をぬって、週に2、3度は夜、彼氏との電話の時間をつくろう、と思った。本当だったら、家に帰って、のんびりドラマでも見て過ごしたいひとりの時間だった。
彼氏が遠い距離を運転して、家にやってくる日。遅い運転でおつかれの彼にあたたかいスープを用意して、待った。

大切な人を想い、少し自分のしたいことの優先度を下げてみること、そして自分のやりたいことだけじゃなくて、相手はどうしたいか、を考えて、折り合いをつけること。自分の100%思い通りにいかなくても気にならないくらい、大切な人と過ごす時間はやっぱり楽しい時間だから、みんなパートナーを想い、相手にあわせることができる。自分の他に、大切に想う人がいることはすごく素敵で、だからこそ、ひとりで思いっきり楽しめる時間が価値のあるものになる。

独りよがりな私から脱却。ひとりの時間もふたりの時間も大切にしたい

ひとりになった今、私はひとりじゃなくて、ちょっと言葉は強いけど、独りよがりになっていると思った。自分のやりたいことを我慢して、誰かのやりたいことに合わせたりするのが嫌で疲れるから、ひとりでいる。
だけど、このまま独りよがりでいてはだめだ。今の私にもう一人の私が危険信号をだしている。

彼氏第一、パートナーを全て優先しましょう、と思っているわけではない。もちろん、自分あってのパートナーとの関係だから、自分の意思をもつことは絶対大切だ。だけど、自分のやりたいことをこの人のためなら、ちょっと我慢して、ふたりの時間をつくろう、と自分から思えるようになることは偉大なことで、そうしてこそ、ひとりの時間が輝くのだ。もちろん、私にもいつか、将来を共に過ごすパートナーができるかもしれない。ひとりじゃなくて、ふたりの生活になったときも、私はひとりの時間を大切にしたい。

だけれど、それは今のような独りよがりの時間じゃなくて、もっとふたりの時間を大切にするために、自分のことも精一杯大切にする時間。ひとりの時間でみつけた発見や、楽しさを、真っ先に伝えたくなるようなふたりの時間を大切にするために。独りよがりな自分じゃなくて、ひとりの時間、そしてふたりの時間を見つけたい。