終電なんて当たり前。部内で最も年下であるという理由で様々な業務が自分に押し付けられていても、困っているのに「若いうちは苦労すべき」と上司に言われて見て見ぬふりをされていても、もう気にしない。
周りが退社し、オフィスの電気を消されて暗い社内でパソコンの明かりで仕事をしていても、帰りの電車内にはとっくに仕事を終わらせて一軒、二軒まわってきたであろう人があふれていても、もう気にしない。
そんな生活を送っていた。

夫とすれ違いの日々を、変えなければと考えるエネルギーさえもない

当時、今の夫と同棲をはじめていたが、そのような状況であり、また夫は始発で職場に向かうような仕事であったため、ほとんど一緒に過ごす時間をとることができていなかった。起きている顔をみるのはいつだったか。

そんなことを頭の片隅で思いながらも、次第にどうでもよくなっていっていた。
この状況を変えなければ、ということを考えるエネルギーも、この状況が良くないと考えるエネルギーさえもなくなってしまっており、ただただ、黙々と仕事をこなし、毎日を無で過ごすようになっていった。

当時、夫は早朝から働き夕方には帰宅したため、毎日夕食を作ってくれていたが、食欲もなく、また夫が寝た後にひとり夜中に食べるというシチュエーションも相まってご飯は味がしなかった。きっとおいしいはずなのに、何も感じなかった。

そんな日々がしばらく続くと、はじめは無で過ごすことができ、これまでは流すことができていた出来事が気になるようになってきてしまっていた。
なんでもないような一言、なんでもないような行為がひっかかるようになってしまい、自分に悪意が向けられているのでは?という気持ちまでもわきあがり、どんどん、どんどん、気持ちが落ち込むようになってしまっていた。

そのころからか、夫に対して少しずつ仕事について愚痴をこぼすようになっていった。
夫も心配していたようだが、頑張っているところに水をさすようなことを言えなかったようだった。
夫の口からはでてこなかったが、心配する言葉をかけることが出来ないほど、私がピリピリしていたのかもしれない。

深夜の帰宅。暗いはずの部屋は明るく、ふわり味噌の香りがする

そんな冬のある日、いつも通り終電で帰り、最寄り駅から歩き、アパートの前についたとき、違和感を覚えた。いつもは消えているはずの電気がまだついているのだ。
静かに外階段を上ると、ふわりとお味噌の香りがする。鍵をあけ、ドアをあけると、お味噌の香りがたつ。そして、そこにはキッチンに立つ夫の姿があった。

近づいて覗いてみると、夫はおにぎりを握っていた。ふわりと微笑み、おかえりと声をかけてくれた。

その日は、夫との久しぶりの食卓だった。ご飯を食べずに待っていてくれたのだ。
メニューは豚汁とおにぎり、ずいぶん前に夫がつくってくれたときに、私が美味しいとまた食べたいと言った豚汁と大好きなおにぎりだった。

お椀をもちあげ、ずずずと豚汁をすすり、おにぎりにもかぶりつく。
ああ、ご飯ってこんなにあったかいものだったのか、こんなにしみるものだったのか。

そして横を見ると、「自分で言うのもなんだけどうまいな~」とうなる夫の姿。
ああ、この人とご飯を食べることはこんなにも満たされるものだったのか。

私にとって一番大切なのは、目の前の夫と楽しく過ごすことだった

この日から、豚汁とおにぎりは私が元気のほしい日につくる、または夫につくってもらうメニューとなった。そして、また、この出来事は自分のスタイルを考え直すきっかけとなった。

何のために仕事をしているのか?夫との生活を充実させるため。
何が一番私にとって大切なのか?夫との時間がとれること。

現状に耐えるために無で過ごし、目を瞑ろうとしていたが、私にとって一番大切なのは、目の前の夫と楽しく過ごすことだった。

それからすぐに業務状況が変わることは決してなかったが、自身のマインドが変わったことで、仕事への向き合い方や気持ちの持ち方が少しずつ変わっていった。

現在、当時に比べ業務は落ち着き、終電で帰宅するようなことはなくなっているが、いつ、また、同じようなことが起きるかはわからない。
その時、私は、また豚汁とおにぎりを食べ、あの日のことを思い出し、自分にとって一番大切なものはなにか?とあらためて認識するのだ。