留学への応募。努力の成果を発揮できる「踊り場」になるはずだった

階段の途中にある広いスペースのことを、なぜ「踊り場」と言うのか。諸説あるが、その一つの中に舞台で踊り子が踊る場所が由来だというものがある。そんな説明書を見て、踊り子は自分の努力が発揮できる場があって羨ましいなあと、しみじみ思う。

高校生活を振り返り、ふと私の「踊り場」はどこだったのかと考える。ここが自分の踊り場となるはずだったのではないかと思うのは、高校2年時に挑戦した留学支援国家プロジェクト「トビタテ留学JAPAN」への応募だ。

小学校4年間の学級崩壊や一方的な嫌がらせなど、様々な人間関係の問題に悩みながらも、その経験を活かし幼い頃から相談に乗ってきた私は、必然のように人の幸せについて考えるようになった。
そんな中で「世界一幸せな国」と呼ばれるブータンに興味を持ち調べを進め、この国を訪れて幸せの秘訣を学び、たくさんの人を幸せへ導くという夢を持った。そして、中学2年生のある日、留学プロジェクトの存在を知り高校生になった時挑戦すると心に決めた。

留学がなくなり、体育祭、文化祭、修学旅行も次々と中止に

待ちに待った高校1年の夏、親や旅行会社の方々、そして受け入れ先のブータンの学校の先生など、様々な人から協力を得て留学プロジェクトへの応募を終えた。結果が出るのは翌年の一月で、一次審査は書類、二次審査は面接の予定だった。

しかし、そこで突如現れた新型コロナウイルス。感染を考慮して二次審査は中止で書類だけで審査するという知らせが来て、あがり症な私はその知らせに少し安堵を覚えた。その後に留学採用審査自体がなくなる知らせが来るなんて予想もせずに。

「皆、苦しいのは同じだから」
そう人々は口々に言う。
「今までの努力の意味は?」
そんなことを自分に問うても、周りに問うても、納得できるような答えが返ってこないことくらい知っている。だから、私の元にも飛んできた、受け入れるにはあまりにも困難なその言葉を、誰に文句を言うでもなく無理矢理飲み込んだ。胸のあたりに燻る悔しさと悲しさは、諦めという麻酔に打たれてその身を隠した。

しかし、これはただの序章に過ぎず、高校2年時には体育祭や文化祭の後夜祭、修学旅行の中止が次々に告げられた。そして、高校生らしいことはほぼないまま3年生を迎え、机に向かう日々が続いた。

重要な時期をほぼ室内で過ごした世代。「大人」になれるのだろうか

新型コロナや共通テストの難化で受験は大波乱。嵐のような受験期が去り、努力の成果がほとんど空振りに終わる中、スマートフォンのネットニュースを開けば同世代の芸能人が夢や目標を達成している姿が目に止まる。
画面に映るその眩しすぎるその輝きを自分と引き比べて、本当に同世代なのかと目を擦る。比べても無駄だと分かっていても、努力の成果を形にできない自分が情けなくて、もどかしくて、暗い落とし穴にただ1人取り残されたような気がした。

4月には成人年齢の引き下げが行われた。しかし、「あなたはもう大人です」と言われても、鳩に豆鉄砲を食らった気分だ。

本来ならば着々と大人の階段を登り、途中で自分の見せ場を作りながら「大人」へと近づくものなのだろう。しかし、10代の重要な時期をほぼ室内で過ごし、「ロストジェネレーション世代」とまで言われた私たちだ。
いきなり目の前に広がる新しい世界に、怖気付くことなく進めるのだろうか。「踊り場」を失くし自信をつける機会を逃した私は、しっかり「大人」というものになれるのだろうか。どこにぶつけることもできない不安が、目の前に霧のように立ちはだかる。

しかし、時は刻一刻と進んでいて、尻込みしている暇など与えてくれない。
だからどうか、今からでもいいから。大人へと繋がる階段と、その途中にあったはずの、私たちの輝ける「踊り場」を。その霧を掻き分ける武器となる「踊り場」を、私は今、渇望している。