20代半ばの、ヴァイオリニストとして活動する筆者だが、ヴァイオリンを弾き続けるというのは、それなりのお金がかかる。
例えばレッスン1時間受けるのにも大体6千円から数万円。
ヴァイオリン自体を買うのに数万円から数千万円。
弓を買うのにも数万円から数百万円。
メンテナンスとして、楽器に張る弦が数千円から数万円。
弓に張る馬の毛だって5千円くらいから数万円。
では、その楽器を続けるために支払う費用は誰が払うのか。
楽器の費用を払うため、演奏活動に加えてレッスンも始めた
自分がやりたいと思って選んだ道なのだから、自分で払おうと思ったのが大学生になった時だった(大抵の演奏家というのは家自体がお金持ちで、音楽にかかる全ての費用は両親が支払うのが当たり前、という風潮なのだ)。
でも正直な話……演奏家として弾いて稼ぐのは、ものすごくきつい。
時給1080円くらい(もちろん人による。私はひよっこの下っ端)で、リハーサルが始まる1時間くらい前には現場に着くようにして、演奏する楽曲を何時間家で練習しようと、その時間に賃金は支払われない。
演奏以外でもお金を稼ぎたいと考えて、子供好きだったため大学生になった段階でヴァイオリンのレッスンも始めるようになった。
そうして数十万円まで貯金が貯まったところで、念願だったサマーアカデミーとレッスンを受けに、オーストリアのザルツブルグへ行ったのだった。
帰ってきて、初めての生徒さんとして来てくれていた小学4年生の女の子にお土産を渡した時のことだ。
「自分で働いて貯める」という10歳の発想から気づく、自分の甘い世界
どうしても「自分も先生と2人でオーストリアに行きたい!」と言い張るので、「ご両親に相談してね」とたしなめた次のレッスン。
「たくさんお金がいるって言われた」としょんぼり顔で話した後に、「でも足りない分はお父さんとお母さんに出してもらうけど、自分も働いて貯める!」ときらきらした目で言うのである。
10歳という年齢でその発想に行き着くことにとても感動したと同時に、私は自分が恥ずかしくなった。
私がいたのはあまりに自分に甘い世界だったのだと。
大学生になってやっと、自分で選んだことなら自分のお金で、と自力で渡欧出来たことを少し誇らしく思ってしまっていたが、なんら当たり前のことだったのだ。
その後、意気込んだ彼女はレッスンの前後に、子供でも働くにはどうしたらいいかと調べたことを話してくれたり、私の楽譜を製本する作業を手伝ってくれたり(数十円から数百円のバイト代をあげる約束で)、おうちでのお手伝いのお小遣いを貯金していた。
そんな素敵な考えを持つ彼女は次の年には引越してしまって、共に渡欧することは叶わなかったが、自分に使うお金は自分で稼ぐ、という言葉はまだ私の中に残っている。
目標を作るだけで日々のモチベーションも上がり、生活も変わる
その後私も大学を卒業し、こなす仕事の数は増えはしたが、その分使う額も増えてきた。
楽器のメンテナンス等にかかる金額は変わらないが、それ以外でも舞台に立つのにドレスや靴が必要になる。
演奏家として舞台に立つ際や、学校などで子供達の前に立つ際は、非日常的な夢のような瞬間を作りたいと、身につけるドレスにはそれなりのこだわりを持って購入するようになった。
そうすると、そのドレスを着ただけで気合もスイッチも入る上に、これを買いたいから、と目標を作るだけで日々のモチベーションも上がる。
普段はマイボトルを持って行ったり、お昼休憩は自分で焼いたパンを持参したりするようにして余計な出費は極力抑えるようにし、ドレスだけでなく身の回りのものでも、できるだけ長く使える、見た目も質も良いものを選ぶようになった。
そう考えて日々を過ごすようになったら、段々と身の回りには本当に自分の気に入った、長く愛用できるものしかなくなってきたことに気づいた。
気に入ったものだけで過ごす時間はそれだけで自分へのご褒美になる上に、質のいいものはすぐ壊れることもなく、余計なゴミを出さずに済むので地球にも自分にも優しい。
なんならヴァイオリンという楽器自体、何十年、何百年の時を超えて、色々な人の手に渡りながら今やっと私のもとに来てくれた最高級に質の良い宝物であることに気づいた。
自分を高め、幸せになるために必要なのがお金で、働き方は自分で模索して、自分に使うお金は自分で働いて稼ぐことの大切さを彼女は教えてくれた。