大学何年生の時だっただろうか。彼氏がいなかった年の12月23日の夜、親友からLINEが入った。
「いちごちゃん、明日遊べない?」
当時、本物の男性よりも宝塚に傾倒していた私は、夕方からの宝塚のチケットを持っていたけれど、それまでなら大丈夫だよ、と返信をした。
あれ、親友には彼氏がいたはずだ。前回会った時、別れたいと言っていたから、そのまま別れちゃったのかな。
向こうから誘ってくれてるのなら、そういうことなのだろう。明日直接聞けばいっか。そう思ってLINEでは触れなかった。

クリスマスイブ、彼女に「会いたくない」と言われた親友の彼氏

当日、「彼氏さんはどうなったの?」と聞いた私に、彼女は、「今日は会いたくないって言った」とぶっきらぼうに言った。聞くに、彼女の方はもう彼氏が好きではなくなってしまって、別れたいと伝えたけれど、彼氏の方は彼女のことが大好きすぎて、別れ話をすると泣かれるから話が進まないという。
その日は、2人でショッピングモールに行き、フルーツパスタといちごのタルトを食べて、サンタさんのコスプレを借りて、プリクラを撮った。気の置けない親友と、たくさんお喋りをしながら、ショッピングモール中を歩くのはとても楽しかった。
それでも、デートを楽しむカップルが目に入る度、クリスマスに、大好きな彼女に、会いたくないと言われた親友の彼氏は、どんな気分だっただろうか。今彼はどんな想いで、どんな風に過ごしているのだろうか。そんなことが頭をよぎる。

クリスマスはカップルでいっぱい。ひとりで歩くのは肩身が狭い

もちろん、私は会ったことのない彼氏よりも、十年来の友人である彼女の幸せを願っている。彼女が会いたくないなら会わなければいい。そう思っていてもなお、私の中には親友と会いたい彼氏から彼女を奪っているかのような罪悪感が頭の中を渦巻いていた。
もしかしたら、親友もその罪悪感を紛らわすために、家で1人で過ごすのではなく、私と会うことを選んだのかもしれない。親友と別れ、東京駅で電車を降りると、イルミネーションに目を輝かせているカップルでいっぱいだった。
ひとりで歩くのは肩身が狭い。親友の件にしても、これがクリスマスでなかったら、こんな思いをする必要もないのに。クリスマスは、カップルで過ごすことが美とされているところが苦手だ。

彼氏がいないことに劣等感はない。でもクリスマスは過ごしづらい

逃げるように有楽町まで歩き、東京宝塚劇場へ駆け込んだ。ここは女性ばかりで、熟年のご夫婦こそいるが、私世代の若いカップルはいないに等しい。そして、源氏物語をモチーフにした舞台を見ながら、親友の彼氏から、六条御息所みたいに嫉妬されていないかしらと不安になる。
クリスマスソングをバックにデュエットダンスをする男役と娘役に、イルミネーションデートをしていたカップルたちを重ねる。今彼氏がいないことに劣等感は抱いていないし、普段宝塚を観るときはそんなことないのに、12月24日という日付が、ここにきても私の頭の中を占拠していることに気付く。
やっぱり彼氏がいないクリスマスは過ごしづらい。その日の夜、親友の彼氏の嫉妬に苦しめられることはなかったけれど、あれから何年も経って、夫が出来た今も、クリスマスが来るたびにこの年のことを思い出す。