高校時代に悩んだ将来やりたいことは、永遠の課題になりつつある
もし、「将来の自分の子」に会えたなら、「人の役に立つとか、将来苦労するかもとか関係なく、まずは自分の好きな道を選んでみなさい」と言いたい。
それを伝えたいと思ったのは、私自身の大学進路決定のタイミングで、自分の好きな道を諦めたから。
私は高校時代、将来やりたいことが全く思いつかなかった。
タイムスリップができて、高校生の私に言ったら驚くだろうけど、20代後半の今もなお向き合っている。
むしろ永遠の課題のような気さえしてくる。
そんなわけで、引き続き、将来のやりたいことを模索している私なのだけど、そのことについての捉え方は高校時代の方がよほど深刻だったと思う。
なぜかといえば「他の人の役に立つ人間になりなさい」と言われて育ち、「目に見えて困っている人の役に立つ何かを目標(やりたいこと)にして、目指さなければならない」と思い込んでいたから。
大好きな平安文化を研究し、将来就職活動の道は開けるのだろうか
進路に悩んでいた当時の私が最も好きだったのは、源氏物語等の平安文化だった。
ただ、それを大学で専攻することで人の役に立ち、近い将来である就職活動に直結するような道が開けると思えなかった。
それに自分が進学したところで、もう研究し尽くされていて入り込むスキなどないのだろうな、とそんな事を思って、諦めてしまったのだ。
また、進路に悩んでいることを相談した他の人からはこう言われた。
「将来、潰しがきくようなことにしなさい」
確かに潰しがきくというのは大切だ。
特に私は、何か人の役に立つやりたいこともないからこそ、そういう学部の方が良いのだろうと思った。
そこで自分の好きなことを研究できそうな「文学部」ではなく、「経営学部」に進む道を選んだ。
理由は経営という働くにおいては欠かせない事であり、広く人の役に立ちそうで、また自身の就活でも役立ちそうだったから。
それに、経営学部でやることに全く興味がないわけでもなかったから、それなりに納得して自分で選んだ道ではあった。
役に立たない仕事なんてない。もっと気持ちに正直に生きても良かった
ただ、大学を卒業し、企業に就職して数年経った今、結果として振り返ると、もう一人の自分が呼びかけてくる。
「進路を選ぶ時に基準にしたことって、自分が大切にしたい軸ではなくて、他の人が大切にしたい軸だったんじゃない?」
そうかもしれない。
今考えると直接困っている人を助けなくても、間接的に人の役に立つことなんて沢山ある。
むしろ、役に立たない仕事なんてない。
しかも、今就いている仕事は別に経営学部でなくても就ける。
それなら、別に好きな道に進んでも良かったじゃない。
もちろん、こんなことを言い出すのは後出しジャンケンなので、ズルいことだと分かっている。
経営学部を選択して、それなりに学んだ事が役に立っているから言えるのだ。
コロナで世界が大きく変わるのを目の当たりにして、潰しがきくなんて言葉が脆いものだと目に見えてわかったから言えるのだ。
ズルいことだと分かった上で、今の自分の考え方で考え直してみた。
「どうなるかわからないけど、将来なるべく苦労したくない」という気持ちを安易に選び取って、「自分の好きなことと、自分ならどこでだってやっていけるさ!」という気持ちを信じられなかったことは、自分にとって申し訳なかった。
結局、苦労は今も少なからずしていて、自分自身の糧にしながら頑張っているのだから、もっと気持ちに正直に生きても良かった。
だから、自分の子がもし進む道に悩んでいたら、こう伝えたい。
「あなたが好きだと思うことがあるなら、まずはその道を選んでみなさい。たとえ苦労したとしても、それをあなたは糧にできるから」