「一緒に暮らせばよくない?」
吹けばふっ飛ぶような軽い感じの次女である姉の言葉で上京が決まったのは17の秋。
自由奔放でゆるい長女と違い、彼女は生真面目で両親の期待を一身に背負った優等生だった。
記憶にある限り、三女である私と彼女との思い出は少ない。
私と彼女は血の繋がった真っ当な姉妹であったが、歳が離れすぎていて、私が物心つく頃にはとうに家を出ていた。
血の繋がりだけが私と次女の繋がりだった。
厄介になる代わりに家事、姪の世話役を精一杯務めることにした
就職が決まった頃に彼女のマイホームが建ち、私はその家に転がりこんだ。
私は厄介になる代わりにその家の家事、2歳になる姪の世話役を精一杯勤めることにした。
夫婦で教員の彼女は毎日忙しく、私は姪と過ごす時間が長くなっていった。
人懐っこい姪ははじめこそ、私にべったりだったが、だんだん慣れていくうちに帰りの遅い両親にしきりに会いたがった。
夕方のチャイムがなると決まってグズリだし、ただひたすら泣くときは抱っこしてひたすら近所を歩き回って気を紛らわした。
食事の時はいつも緊張した。
喉に詰まらせないように、少なすぎるくらいの量をスプーンにのせて何回も食べさせた。
ひとりでやりたがる時は特に気をつけて目も離せなかった。
自分の子供ではないので、とても気を使っていた。
テレビで幼児が亡くなったニュースを見ると気が狂いそうになるほどに。
夫婦2人で行事が重なり遅くなった時は、
「お母さんとお父さんに会いたい」
そう言われて泣かれた時は、こちらまで涙がつーっと流れて落ちた。
だんだん、2人でいる時間が長くなればなるほど、姪に対する愛しさが増したが、やはり姉夫婦が帰ってくるとそちらに行ってしまうので悲しくもあった。
18で実家を出た私と、私に預けられた姪は、血より「愛」で繋がった
姪が3歳になり、春になった頃。
私は姉の家を出ていった。
それからは頻繁に姉の家を訪れている。
見るたびにすくすくと姪は健やかに育っているし、私はようやく叔母として姪を愛することができている。
姪は小学1年になり、今は2人姉妹の姉となった。
そして、とても私を好いてくれている。
時々、「また一緒に暮らしたいね!」と無邪気に言ってくれるほどに。
私と彼女は血の繋がりだけが、繋がりだった。
私と姪の繋がりは血より「愛」が繋がりだった。
私がこんなに愛しているのはあとにも先にも、彼女の姪、ただ1人。
苦しくて、寂しくて、つらい。
そんな時も2人で乗り越えてきた。
たとえあの小さな脳裏に刻まれてなくても、私にとって愛しさの全ては姪である。
18で上京し親元を離れた私と、幼くして、私にばかり預けられていた姪。
そこには新しい愛の関係が築かれていた。
親子でも家族でもない。
ただひたすらに「愛」と「情」だけが、そこには存在した。
それだけで、それだけあれば充分だった。