私は頑張っても無駄なんだ。親に言われた残酷な言葉に苦しめられる
涙が止まらなかった。
泣くのを我慢したかった。でも、後から後から涙が溢れて、どうしても止める事ができなかった。言い返すことができず悔しかった。図星だとこうも何も言えなくなるのかとがくぜんとした。
まだ私は中学生だった。
姉と同じ中高一貫校に入学し、なんとか勉強して学校生活をこなそうと一生懸命だった。しかし、中間、期末テストは平均点以下。地元の小学校では学年上位の成績だったのに、一気に落ちた。それに対して姉は、得意な教科では上位10位以内に入るほどの成績。全体でみても、私とは比べ物にならないほど良かった。
姉はできて、私はできない。勉強しても、なかなか自分の成績が上がらないことを感じていた。
そう、自分でも薄々気づいていた。
けれど、突きつけられた時、それが疑惑ではなく確信へと変わった。
「お姉ちゃんはできるのにね」
「お姉ちゃんと同じ勉強量では、お姉ちゃんの学力には到底、及ばない」
「かわいそうだけど、あんたの頭はそんなもんなんだよ」
母と父は、私を慰めるように言った。そう、慰めているつもりだったと思う。でも、その時の哀れなものを見る目は、あまりにも残酷なものだった。
自分で思うだけなら、本当ではないかもしれないと否定できる。もしかしたら誰かが違うと、言ってくれるかもしれない。しかし、そんな淡い期待は一瞬で消えた。
言った人物も重要である。自分のことを大して知らない人であったら、私のことなんてわかっていない。そんな人に言われたって、信じないと流すこともできた。しかし、肉親に言われたら、そうもいかない。ましてやそれが、親ならなおさらだ。
それから私は、「自分はどうせ、できやしない」と、どこかでそう思うようになってしまった。頑張っても無駄。人は努力に比例して、成長したり報われたりしない。ましてや結果なんて、努力したって悪いことの方が多いくらいだ。ただ、かなり悪いがちょっと悪いくらいには食い止まっているのかもしれないが、決して嬉しいことではない。
それがこうも早く突きつけられてしまった。自分のできなさを痛感してしまうことになった。
自分を悲観的に見てしまう。成長しても自己肯定感は失われたまま
姉のことは、大好きだった。姉が褒められることは誇らしいことだと思っていた。
でも、いつでも比べられる私は、姉より劣る、落ちこぼれの妹でしかなかった。悪気があって言っている訳ではない。素直に姉がすごいと言っているだけ。そしてたまたま、その妹の私が姉より格段と劣っていただけ。
今思えば、かわいそうなのは頭のレベルの低さではない。認めてほしい両親に、私はかわいそうな子と思われてしまったことだ。
当時は、頑張っても無駄な気がして涙が溢れたが、日が経つにつれ、みじめに感じたのは、両親が私をそういう目で私を見ていたんだとわかったことだ。
ある意味、私がかわいそうということは事実だと思った。
今でも、よく覚えている。台所の端の椅子に座り、テストの個表を広げ、涙を流したあの時の様子。
あの時は、受け止められなかった。
私はできない子だと思い、自分を悲観的に見るようになった。自己肯定感が失われていった。バイトの適性検査でも著しく低い値が出るのは、自己肯定感の部分だった。
あの日から私は、自分を低く見るようになっていた。なかなかその考え方から脱出できなかった。
周りが勝手に決めたことだから。自分の人生は、自分で切り開く
でも、今ようやく前を向けるようになった。自分の文章や絵を発信して、私の文章や絵を認められるようになったからだ。
やっても無駄。到底、及ばない。かわいそう。
きっと私以外の人も、言われた事があるのではないだろうか。
でも、それは周りが勝手に決めたこと。私は10年以上、その言葉が頭から離れない。それでも前を向く。そうすれば、いつか見返す事ができると自分を信じているからだ。できないことを悲観的に見たって、何もプラスにはならない。
自分の人生、自分で切り開いていく。そうするときっといつか、明るい未来が待っていると私は今、信じている。