私の両親は、仲が良いとは言える二人ではなかった。
幼心に「なんでこの二人は結婚したのだろう?」と思ったくらいで喧嘩は日常茶飯事。もちろん家の中の雰囲気は悪く、末っ子の私はわざとふざけて場の空気を明るくしようと努めたりした。
結婚なんてそんなものなのかな、と小学生ながらに冷静でいたが、周りの友達の話を聞くと両親の仲が良い家庭もあるんだと衝撃を受け、羨ましかった。
子供なんて作らなきゃ良かった。喧嘩中に聞こえた父親の一言
父はお酒を飲むと気が大きくなり、亭主関白が酷くなる。母も負けじと言い返す。その繰り返しだった。
子供なので、弱く見える母の味方ばかりしていた。父が口が悪いところも嫌いだった。しかし子供には優しく、遊んでくれたり好きな物を買ってくれる父が完全には嫌いになれなかった。
ある晩、いつものようにお酒を飲んで悪態をついてる父親が母と言い合いになった。私は「またか」と思いながら、寝る準備を始める。
いつもより喧嘩がヒートアップしている様子を気にしないように、マンガを読んでいた。すると、父親の「子供なんて作らなきゃ良かったか」という一言が聞こえた。
私は一瞬止まり、なんて酷いことを言うんだろうとショックを受けた。たとえ思っていても、母にそれを言うこと、子供には絶対に聞かせてはいけないことではないだろうか。母がなんて返したかは覚えていないが、子どもを持った今なら冗談でも言われたくない言葉だろうし、その時の父のことはすごく幻滅する。
大人になり、父が背負った責任感やプライドも理解できる
後になり、父の会社は不景気による早期退職者を募っており、ほとんどの人が辞める選択をするという話題が出ていた。
高卒で入り、夜勤もある中で何十年も一つの会社で頑張ってきた父。定年まで働けると信じていたのに、急に道がなくなり放り出されてしまった。
再就職もなかなか難しい年齢だったし、年が離れてできた私がいたので、父なりに苦しんでいたんだと思う。大人になれば、家族を背負った責任感やどうなるかわからない焦燥感、プライドなど理解できるところもある。
しかし父はプライドが邪魔をし、うまくいかない部分もあった。母が働きに出るという話をしたときに、パートなんかするな、専業主婦でいろ!と怒っていた。
全てが理想通りにいかないのが人生で、窮地の時には支え合えるのがパートナーではないかと思うが、父はこういうところが頑固で曲げられない。
少しずつ変わっていった父。時間の流れが解決してくれることはある
その後、父は知り合いのつてで再就職し、新しい業種についた。それから少し父に変化があった。
仕事しかしてこなかった父だが、空いた時間に料理や家事をするようになった。これには家族で驚いたが、いい変化だと思った。
私が高校生の頃、母が体調不良が続いたときは母に代わり毎朝お弁当を作ってくれた父。機械的に詰められたおかずは、おいしそうな見た目ではなかったが味はおいしく、嬉しかった。
それから数年たち、私は結婚して子供ができた。孫を抱く父は別人のようで、目にいれても痛くはない様子だ。
「私が小さい頃もこんな風に可愛がってくれてたのだろうか」と思うようになった。時間の流れが解決してくれることはあるように思う。
しかし、振り返ったときに父のあの言葉は重く、直接言われた訳ではないが小さい私にとって辛い言葉だった。
このことは反面教師にし、子供に対して使う言葉や聞かせる言葉には慎重になろうと思う。子供は、親が思っているよりもずっと多くのことを考え、理解しているものだから。