私たちの身体は食べたものでできている。
料理を作る人のことは思い起こせても、食べ物を作る人のことはあまり想像できない。
私が牛乳がどこでどうやってできているのかを知ったのは、高校の修学旅行での農業体験だった。

泊まった家から隣の家は遥か向こう。ネコどころか畑が横たわっていた

農業体験先は岩手県の遠野で、おじいさんとおばあさんが二人で暮らす農家に一泊する。
お米ととうもろこしを栽培するほかに、乳牛10頭ほどと、趣味で馬も飼っていると聞いていた。
遠野には畑や田んぼが広がり、その間に家がぽつぽつと建っていた。
私は生まれも育ちも大阪で、田舎には縁がなくずっと都会で生きてきた。育った家は隣の家との間にネコ一匹やっと通れるくらいのわずかな隙間がある程度で、街は文字通り家が密集していたものだが、遠野で泊まった家から隣の家は遥か向こう。ネコどころか畑が横たわっていた。
車が行き交う音も、隣の家の生活音も、どこかで絶え間なく行われている工事の音もなく、静かだった。
さっきまで修学旅行のバスに詰め込まれていた私が農家に降り立ったときには、まるで遠い外国に放り出されたように感じるほどだった。

開けた土地に、おいしい空気。
乳牛がいると聞いていたので、牛乳パックの表にあるような、広々とした牧場で悠々と暮らす牛を想像していた。

愛情をかけて育てる農家のおじいさんと、牛の環境がショックだった私

農家のおじいさんは一通り家の中を案内したあと、「じゃ、牛舎見るか」と、私たちを小屋に案内した。
乳牛は、広々とした牧場には住んでいなかった。
牛は1頭ずつ、柵で仕切られた小さな区画に入っていた。
その首には天井から下げた大きなカラビナのような首輪がかかっていて、自分で動けるのは前後に2〜3歩程度。
建物が少なくて開けていると私が感じたこの土地は、見方を変えると所狭しと畑が並び、牛が小さな小屋に追いやられた土地だった。

農家のおじいさんは搾乳を体験させてくれた。
絞ると牛乳が出た。これが私が子どもの頃からパックから飲んでいた牛乳だった。
「いい子だろう?」
おじいさんは牛に呼びかけ、笑いかけ、首を撫で、正真正銘愛情をかけて育てているように見えた。
農業は楽ではない。休みはないし朝も早いし体力も要る。
彼はこうやって、私たちが生きるための食べ物を一生懸命作ってくれている。

それでも私は、自分が日々飲んでいる牛乳や乳製品の源が、小さな小屋で生まれて死ぬ不自由を強いられた牛であることがショックだった。
小屋の窓から外を見つめる牛がなんだか痛々しかった。

そう思ってしまうことを恥ずかしくも思った。それは牛を大切に育て、過酷な農業を生業にしてくれている農家のおじいさんに対して失礼な感情だった。
私は日々、誰かが作ったものを食べて生きていて、それがすべて自分の思い通りではないことを思い知った。

ホストファミリーのママは、自分の考えのもとに平飼い卵を買った

それから3年後、私は大学生になりオーストラリアに留学した。
ホストファミリーとスーパーに買い物に行くと、ママが自分がいつも買っている卵を紹介してくれた。
「オーストラリアの卵は、鶏の飼育環境によって3種類に分けられてるの。
ケージ飼い、平飼い、放し飼い。
ケージ飼いが一番安いけど、そんなの倫理的じゃないし鶏に対する虐待だと思うから、私たちは平飼いか放し飼いを買うことに決めているの」
彼女はそう言って、紙製のパックに入った平飼い卵をカートに入れた。

確かにスーパーに並ぶ卵のパッケージに、その卵がどんな飼育環境の鶏から来たのか必ず明記されていた。
私は遠野で目にした、狭い牛舎で飼われていた牛と、オーストラリアの芝生でのんびり暮らしているであろう家畜を思った。

ママをはじめとしたオーストラリア人が、自分の考え方によって食べ物を選んでいること。そしてオーストラリアのスーパーでは、それが選べることに感動した。
できれば牛に幸せな一生を全うしてほしいと、私だって願っている。

今も牛舎で外を見つめていた牛を思い出し、少し寂しい気持ちになる

オーストラリアにはベジタリアンの人が多く、カフェやレストランでは必ずいくつかベジタリアンメニューが提供されていた。
コーヒー屋さんでカプチーノを頼んでも、牛乳か豆乳かを選べた。
オーストラリアでは、どんな牛の牛乳を飲むかも、そして牛乳を飲むか飲まないかも、選択することができたのだった。

私は今も牛舎で窓の外を見つめていた牛を思い出して、なんとなく寂しい気持ちになる。
畜産の現実を、知りたくなかったといえばそうかもしれない。でも知ったから選択できることもある。
私は留学後にベジタリアンになり、家畜の解放を願っている。
知ることでより自分らしいライフスタイルを選ぶことができた。農業体験に行けたこと、そして自分の選択ができることに感謝している。