「マナちゃんが持つなら、このくらいがいいんじゃない」。
当時付き合っていた写真家の彼が選んでくれたカメラは、ソニーのコンパクトデジタルカメラ、いわゆるコンデジだった。

写真家の彼が選んでくれたコンデジ。旅行の思い出をすべてを撮影した

2013年。大学生だった私は、写真家の彼に憧れてカメラを始めるにあたり、言われるがままにコンデジを購入した。
ソニーのコンデジというと、プロの人でもサブカメラとして持つほど性能が良いそうだ。

彼が持っていたのは荘厳な、という形容詞が似合うニコンの一眼レフ。首からカメラを下げただけで重圧が分かる。自分が持つにはちょっと大きすぎると思っていた。

「これが使いこなせるようになったら、一眼レフに挑戦するといいよ」
一眼レフに負けず劣らず様々な写真が撮れるコンデジ。
私が使いこなすより先に壊れてしまったのは、去年の夏頃だった。

購入後、すべての旅行の思い出はこのカメラで撮影した。
オーストラリア、ベトナム、ブラジル、キューバ……旅先では一眼レフを抱えた日本人旅行客を山ほど見た。一目でカメラと分かる、それの防犯には手を焼きそうだった。
私はいつも、お気に入りのパタゴニアパーカーのポケットにコンデジを突っ込んでいた。カメラは旅の相棒。危険にさらさないように、いつも私の右手が触れるところに置いていた。

2度目の故障をした。カメラはもう、昔ほど大切ではなくなっていた

チリに長期滞在したときに、相棒は初めて故障した。シャッターを押しても写真が撮れなくなったのだ。
購入してから5年ほど経っていた。調べてみると、そろそろ寿命らしいことが分かった。

新しいものに買い換えることも考えたが、サンティアゴのソニーセンターを訪ねて修理してもらうことを選んだ。
カメラを手放すことが、私が日本から連れてきた大切な仲間を手放すように感じられて心細かったのだ。
無事修理されて手元に返ってきたカメラは、その後も私の最高の旅の仲間でいてくれた。
一人旅が多い私。このカメラだけが私の思い出を知っているのだった。

そして去年の夏、2度目の故障をした。今回は修理に出そうと思えなかった。
購入してから8年が経っていたし、カメラがそんなに長く持たないであろうことを一度目の修理のときに知っていた。
コロナ禍で旅に出ることがなくなり、結婚して一人でどこかに出掛ける機会もめっきり減っていた。
カメラはもう昔ほど大切ではなくなっていたのだ。

私は変わってしまった自分の旅のスタイルに気付いて、それを寂しくも感じた。カメラを引き出しの奥にそっとしまい、スマホカメラで写真を撮るようになった。

鮮やかで、記憶が蘇るコンデジの写真。私にはまだ撮るべき写真がある

でも、スマホカメラにはなかなか慣れなかった。コンデジほど鮮やかで、撮ったときの記憶を思い出させてくれるような写真は撮れないのだ。
折に触れて昔コンデジで撮った写真を見返すほど、そのときの記憶が蘇るのだ。

いくらスマホカメラが進化しても、私にとってのコンデジにはなれない。
コンデジ購入時に写真家の彼に言われた言葉がまだ聞こえる。「マナちゃんには、このくらいでいいんじゃない」。私はまだコンデジを完璧に使いこなしてなどいないし、彼の一眼レフはまだ持てない。
私はまだコンデジで撮るべき写真があるように思う。自分のスマホ写真とコンデジ写真を見返すほどにそう思えてくる。いつか彼に良い写真を見せたいような、意味のない意地もある。

もう少しお金が貯まったら、またソニーの同じコンデジを買いたい。
今度は違う形の旅の相棒になるだろうし、もっと良い写真に近付くだろう。
そして傷だらけの古いコンデジも、しばらく手元に置いて眺めたいと思う。