社会人になってそろそろ1年が経とうとしているこの春、私は人生最大の買い物をした。これからの生活を彩ってくれる相棒となるであろう、車を購入したのだ。

私の住む町は都会とは言い難く、電車は30分に1本、バスもほとんど走っていないので、一人一台車を持つことが当たり前の地域だ。
いつかは自分も車を買うと思っていたが、社会人1年目の決して多くはないお給料で、ローンを組みながらも200万円近い買い物をした私は少しだけ鼻高々である。
細かな文字がたくさん書いてある契約書にいくつもサインをし、銀行口座からごっそりお金が引き去られ、ちょっぴり心が痛くもなったが、それ以上にこの1年頑張って働いた成果を形に残せるようで嬉しかった。

もう私は子供ではないんだ。契約書にサインをした時に感じた寂しさ

けれど、実はちょっとだけ寂しさも感じている。車の契約書にサインをした時、「あぁ、この大きな買い物を私だけでできてしまうんだなぁ。私はもう子供ではないんだなぁ」と、社会的に「大人」になったことを突き付けられたようで辛かった。

つい1年前まで私は大学生で、月5万円ほどをアルバイトで稼いでは、貯金をして、友人と遊んだり、趣味を楽しんだりする生活だった。
それまでの大きな買い物と言えば、およそ10万円の一眼レフカメラで、その時だって大きな買い物をしてしまったと、心がほくほくしていたのを覚えている。

大学生の時だけではない、10年前、私が小学生、中学生だった頃の買い物だって昨日のことのように思い出せる。
その時はまだお小遣いやお年玉をもらっていて、多くはないお金を大事に、漫画一冊買うのでさえ悩んだものだ。1万円を超えるような買い物なんてほとんどできなかったし、子供なりにお小遣い帳をつけて貯金もしていた。
今でも学生だった時の金銭感覚が残っているからこそ、急に車を購入できてしまった自分に驚いているし、「大人」になったのだと実感もした。

本音を言えばまだまだ「大人」になりきれず、責任を持つことが怖い

本音を言えば、まだまだ「大人」になりきれない。社会に無理矢理「大人」にさせられた気分だ。
今だって、お菓子一つ、漫画一冊買うのに、子供の頃と変わらないワクワクを持っているのに、大きな買い物をする時は両親の許可がほしいのにと、思う気持ちをどうしてもぬぐい切れない。
自分の判断だけで大きな買い物ができてしまうということは、その買い物に対して自身で責任を持たなくてはいけないと言い換えることもできる。私は「大人」になって、責任を持つことが怖いのだ。

責任を持つことは確かに怖いが、恐れているだけではこれからの自分の人生がもったいないので、少しずつ「大人」になっていこうと思う。「大人」になって自由に買い物ができるようになったとプラスに考え、これからどんな大きな買い物をしてやろうかと妄想を膨らませてみる。
2代目の車はクラシックカーにしたいし、自分専用の趣味部屋も作りたい、新型コロナウイルスが落ち着いたら海外旅行にだってガンガン行ってやる。そしていつか、自分のためだけじゃなく、誰かのためにお金を使えるようになりたい。

今はまだ「大人」になりきれなくていい、社会に無理矢理「大人」にさせられている途中だけど、近い将来「大人」を楽しめる「大人」になりたいと思う。